一寸注釈を入れてみる。
長浜浩明氏の「先の書」によれば、
第三十三代・推古天皇
第三十二代・崇峻天皇
第三十一代・用明天皇
第三十代 ・敏達天皇
第二十九代・欽明天皇
以上の天皇の崩年と在位年数は実年である、としている。即ち「春秋年」ではない。
以降の天皇については記紀の記述などを参考に次のように推定している。
第二十八代・宣化天皇は、崩御年は「春秋年」で、在位年数は実年である、としている。なお、本文では在位年数は四年としているが、表1では3年となっている。3年が正しい。
第二十七代・安閑天皇も、崩御年は「春秋年」で、在位年数は実年である、としている。
そして
第十九代・允恭天皇からは、崩御年齢・在位年数共に「春秋年」としている。
以後の天皇はいずれも、崩御年齢・在位年数共に「春秋年」としている。
このようにして、
先の天皇の推定崩年-修正在位年数=先の天皇の修正即位年=今の天皇の推定崩年
今の天皇の推定崩年-修正在位年数=今の天皇の修正即位年=前の天皇の推定崩年
と言うからくりで、推定崩年や在位年数に検討を加えながら正しいと思える数字に修正しつつ、遡ってゆくと、神武天皇の即位年は紀元前70年・27歳、崩御年は紀元前33年・64歳となる、と言う。
そして在位年数は38年である、としている。
神武天皇の即位年の紀元前70年と言う年代は、丁度大阪平野が「河内潟の時代」(紀元前50年~紀元前1050年)にあたり、丁度あの日本書紀の次の表現、
「まさに難波碕に着こうとするとき、速い潮流があって大変速く着いた。」「川をさかのぼって、河内国草香村(日下村)の青雲の白肩津に着いた。」
が将に一致する地形となっていたのである。
これで、神武天皇の即位の時は「大阪平野」の発達史にもきちんと合致しており、更には百済王の年紀とも照合して、その正しさを確認している(先の書P.224~225)。
このようにして検証してゆくと、神武天皇はまさに実在の日本の初代天皇スメラミコトであることが、証明されたのである。
そして先の書のP.221^には、神武天皇の生涯を実年で記している。それを次に示す。
1.BC96年、宮崎県高原町狭野でご誕生、狭野命(さぬのみこと)と呼ばれる。
2. BC82年、狭野命は16才の頃阿多の吾平津媛と結婚、タギシミミ命とキスミミ命がご誕生。
3.BC74年、23才の時、東征の決意を述べられる。
4.BC71年、大和南部を平定し、姫蹈鞴五十鈴媛を正妃とされる。
6.BC56年、神沼河耳命(綏靖天皇)がご誕生。41才。
(本文に戻る。)
(続く)