邪馬台国とはなんぞや?(55)

ここに大己貴大神(おおなむちのおおかみ)の名が出ているが、これが大物主神の別の名であるとされている。

 

更に饒速日命(にぎはやひのみこと)の名前も見られるが、饒速日命とは大己貴神の祖先神の名前のようである。

 

と言うのも天孫が降臨する前に、天照大御神から十種の神宝を授かり天の磐船(いわふね)に乗って河内の国に天降ったとされている神で、その後大和国に移ったとされている、とはWikipediaに記されている。

 

しかもその名は、「天照国照彦火明櫛玉饒速日」(あまてるくにてるひこあまのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)と言い、2018.10.10NO.42で紹介した天之忍穂耳命の子の邇邇芸命の兄天火明命(あめのほあかりのみこと)と同一の神である、としている。

 

とすると下記の系図からわかるように、饒速日命天孫の系統の人物となる。

 

 

 

古事記)  (日本書紀

伊邪那岐命伊弉諾尊)--天照大御神(の勾玉から)--天之忍穂耳命↓下段へ続く

 

 

天之忍穂耳命----    アマツヒダカヒコホノニニギノミコト

               -- 天津日高日子番能邇邇芸命----

萬幡豊秋津師比売命-   コノハナサクヤヒメ     カムアタツヒメ    --火遠理命

ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト 木花之佐久夜毘売(神阿多都比売)-  ホオリノミコト

高御産巣神の娘)↓     (大山津見神の娘) 吾田、阿多は笠沙の御崎のある大隅半島の地名

高御産巣神は造化の三神の一人   イザナギ・イザナミの神産みで生れる。

 

火遠理命(火折尊・山幸彦)-

ホオリノミコト             --天津日高日子波限建鵜草葺不合命--

豊玉毘売命 -------   アマツヒダカヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト  --磐余彦尊

トヨタマヒメノミコト()           玉依毘売命------------  イワレビコノミコト

綿津見大神の娘)          タマヨリヒメ(

綿津見大神は伊邪那岐伊邪那美の子

 

 

饒速日命は、天照大御神に命じられて天孫降臨よりも早く葦原中つ国(豊葦原の瑞穂の国、日本)へ天降りされた神であるということなのだが、天孫降臨した邇邇芸命の兄と同一神であるとすると、天孫降臨は、饒速日命の天降りよりそれほど遠くない時期のことなのであろうか。

 

 

このことをわかりやすく系図にすると次のようになる。

 

 

 

古事記)  (日本書紀

伊邪那岐命伊弉諾尊)--天照大御神(の勾玉から)--天之忍穂耳命↓下段へ続く

 

 

天之忍穂耳命----天火明命(あめのほあかりのみこと) = 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)-→

 

               →-(or=)大己貴大神 大物主神

 

            --邇邇芸命(ニニギノミコト)

 

 

 

また、神武天皇がヤマトに攻め入った時に抵抗したのがナガスネヒコであった。この戦いでは神武側は大いに苦戦した。神武の兄の五瀬命長髄彦ナガスネヒコ)の放った矢に当たり死ぬことになる。太陽に向かって戦ったのでよくないと、紀伊半島を回り、紀国(和歌山県)から攻め込む。そして神武天皇八咫烏(ヤタガラス)の助けを借りて優勢に戦うことが出来た。

 

そして、饒速日命長髄彦ナガスネヒコ)の妹を妻としていたが、神武天皇天孫であることを知り、お互いに天孫の証として天の羽羽矢(はばや)などを見せ合いそれを確認する。

 

そして饒速日命長髄彦の首をはねて、神武天皇に帰順する。

 

こうして神武天皇大和の地に拠点を設けることが出来たのである。

 

饒速日命物部氏の祖神にあたる。

(続く)