Wikipediaには天孫降臨については、次のように記している。
天孫邇邇藝命の誕生[編集]
天照大御神と高木神(高御産巣日神)は、天照大御神の子である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命に、「葦原中国平定が終わったので、以前に委任した通りに、天降って葦原中国を治めなさい」(「今平訖葦原中國矣 故汝當依命下降而統之」『古事記』)と言った。
天忍穂耳命は、「天降りの準備をしている間に、子の日子番能邇邇藝命が生まれたので、この子を降すべきでしょう」(「僕者將降裝束之間 生一子 其名天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命 此子應降也」『古事記』)と答えた。邇邇藝命は高木神の娘の万幡豊秋津師比売命との間の子である。
それで二神は、邇邇藝命に葦原の中つ国の統治を委任し、天降りを命じた。
猿田毘古[編集]
邇邇藝命が天降りをしようとすると、天の八衢(やちまた)に、高天原から葦原の中つ国までを照らす神がいた。そこで天照大御神と高木神は天宇受売命に、その神に誰なのか尋ねるよう命じた。その神は国津神の猿田毘古神で、天津神の御子が天降りすると聞き先導のため迎えに来たのであった。
天孫降臨[編集]
邇邇藝命の天降りに、天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命の五伴緒(いつとものお)が従うことになった。
さらに、三種の神器(八尺瓊勾玉、八咫鏡、天叢雲剣)と思金神、手力男神、天石門別神を副え、「この鏡を私(天照大御神)の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。思金神は、祭祀を取り扱い神宮の政務を行いなさい」(「邇邇藝命者 此鏡者同我御魂 欲祭此者 當如拜吾前 尊崇而祭之 次 思金神者 取持前事 輔其為政」『古事記』)と言った。
これらの二柱の神は伊勢神宮に祀ってある(註)。登由宇気神は伊勢神宮の外宮に鎮座する。天石門別神は、別名を櫛石窓神、または豊石窓神と言い、御門の神である。手力男神は佐那那県(さなながた)に鎮座する。
天児屋命は中臣連(なかとみのむらじ)らの、布刀玉命は忌部首(いむべのおびと)らの、天宇受売命は猿女君(さるめのきみ)らの、伊斯許理度売命は作鏡連(かがみつくりのむらじ)らの、玉祖命は玉祖連(たまのおやのむらじ)らの、それぞれ祖神である。
邇邇藝命は高天原を離れ、天の浮橋から浮島に立ち、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降った。
天忍日命と天津久米命が武装して先導した。天忍日命は大伴連(おほとものむらじ)らの、天津久米命は久米直(くめのあたひ)らの、それぞれ祖神である。邇邇藝命は「この地は韓国(からくに→本来の意味は空国ムナクニ転じてカラクニ)に向かい、笠沙(かささ)の岬まで真の道が通じていて、朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。それで、ここはとても良い土地である」(「此地者 向韓國 有真之道通笠紗之御前 又此地者 朝日之直刺國 夕日之日照國也 故 此地甚吉地也」『古事記』)と言って、そこに宮殿を建てて住むことにした。
天孫降臨の地としては、九州南部の霧島連峰の一山である高千穂峰(宮崎県と鹿児島県の県境)と、宮崎県高千穂町の双方に降臨の伝承があるが、どちらの場所が比定されるかは定説がない。
なお高千穂町の天岩戸神社には、天照大御神が隠れていた「天岩戸」と伝わる洞窟がある。
※注記.天岩戸伝説は高千穂町以外にも複数あり、高千穂地区限定のものではない。また、記紀では天の岩戸の洞窟は高天原にあるとしている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/天孫降臨
(註)
これらの二柱の神は、上記の文脈上、天照大御神と思金神(おもいかねのかみ)を指しているように思われるが、伊勢神宮に祀られている神は「天照大御神」と「豊受大神」である。
豊受大神は、古事記では、豊宇気毘売神と表記され、登由宇気神とも称されるとWikipediaには書かれているので、文のつながりがよくないので、どこかで一文が抜けているかもしれない。
又は「これら二柱の神」とは、違ったことを表現しようとしているのか。小生には説明する力がないので、悪しからず。
2018.10.02のNO.36のブログでは次のように記したが、
『ただし「そりたたして竺紫つくしの日向ひむかの高千穂の霊くじふる峰たけに天降あもりましき」と、邇邇芸命が降臨なされた「竺紫つくしの日向ひむか」の「竺紫つくし」の意味は、不勉強につき小生には説明出来ない。きっと筑紫の意味ではなくて違う意味の修飾語なのであろう。』
この「きっと筑紫の意味ではなくて違う意味の修飾語なのであろう。」は、真っ赤な間違いで、まさしく筑紫の意味である。
ご承知のように、筑紫は九州の古語であり、「竺紫つくしの日向ひむか」は九州島の日向と言う意味であるので、謹んで訂正申し上げる次第である。
天孫降臨されたのは、天孫の邇邇芸命であるが、それよりも前に饒速日命が降臨していることになるが、饒速日命が天火明命(あめのほあかりのみこと)として邇邇芸命の兄であれば、饒速日命も天孫となろう。
しかしながら、饒速日命が神武天皇と会合して、同じ天孫族であること確認したとされているが、饒速日命が邇邇芸命の兄とすれば、神武天皇より三代も前の人物となるので、神武天皇は27才でありその三代前とすれば、100年位前の人となってしまう。だから、きっと饒速日命の三代前くらいの人が天降ったのではないのかな。
だから天火明命(あめのほあかりのみこと)=邇邇芸命の兄とすれば、饒速日命は天火明命の三代後の子孫なのであろう、と考えれば辻褄が合うことになる。
そして天火明命(あめのほあかりのみこと)=邇邇芸命の兄→-饒速日命→-(or=)大己貴大神 = 大物主神となれば、国譲りも合点が行くものとなる。
(続く)