(5) 1945年・昭和20年8月15日は、日本が軍国主義や侵略戦争から解放された時ではない。日本がアジアを、欧米の植民地から開放した日なのである。
「 光復はわれわれだけに嬉しいものではありませんでした。清日戦争と露日戦争、満州事変と中日戦争、太平洋戦争にいたるまで、60年以上にわたる長い戦争が終わった日であり、東アジア独立の日でもありました。日本国民も軍国主義の抑圧から抜け出し侵略戦争から解放されました。」
日清・日露・満州事変は、日本が好きで(侵略して)行った戦争ではない。反対に、侵略にされないための防衛戦争であった。
日清戦争は、清国による朝鮮への侵略を防ぐために、日本が朝鮮を独立させるために戦った戦争であり、
日露戦争は、ロシアの朝鮮への侵略を阻止するために、日本が立ち上がったものであった。
平たく言えば、日清、日露の二つの戦いは、(日本の独立が脅かされるために)朝鮮を守るために、夫々清国とロシアと戦ったものであり、もし日本がたたかわなかったならば、朝鮮と言う国名ははこの地上からは消えていたことでしょう。今はロシアの一準州となっていた筈だ。
満州事変は、日露戦争で日本が得たロシアの持っていた権益を、中国からの侵略から守るためにやむを得ず日本が起こしたものである。
日中戦争は、中国共産党から仕掛けられた日本人の生命・財産や日本の権益に対する妨害、侵害を防ぐために戦ったものであり、うまく中国共産党に引っ張り込まれた戦争であった。日本を蒋介石との戦争に引っ張り込むために、中国共産党は日本居留民への虐殺事件を次々と起こして、日本軍を蒋介石軍と対峙させたのであった。S2.3月の南京事件、S3.5月の済南事件、S12.7月の通州事件と、中国共産党の手配による日本居留民虐殺事件が連続して発生した。
これらの件については、小生のブログ「中国・虚妄のプロパガンダ」(2008.02.08~)や「戦後70年談話はヒストリーで」(2015.06.08~)、「日本近代化の流れ」(2016.11.09~)などを参照されるとよい。
大東亜戦争は、米国政府内のソ連スパイによる謀略により経済制裁(ハルノート)を受け、負けを覚悟して立ち上がざるを得なかったものである。「ハルノートのようなものを突き付けられれば、モナコやルクセンブルグのような小国でも銃をとって立ち上がったであろう。」と東京裁判の弁護人のベン・ブルース・ブレイクニーの言葉が、その証拠である。まあ日本は負けてしまったけれども、東南アジアの多くの欧米植民地は解放されていったのである。元タイ国首相の次の発言を見れば、そのことがよくわかる。(「靖国神社に参拝しよう(5)」(2008.09.15)より。)
『 (6)ククリッド・プラモード 元タイ国首相
(「サイヤム・ラット紙」、題名「12月8日」、1955年6月)
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本と言う母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本と言う母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」 』
(6) 日韓併合は、日本の独断で実施したものではない。ちゃんとした条約を結んで行ったものである。そのため世界が、混乱と紛争の種が減ったと賞賛したのです。
「 われわれは過去に留まることなく日本と安保・経済協力を続けてきました。日本と共に日帝強制占領期における被害者の苦しみを実質的に癒すために取り組み、歴史を鏡とし固く手を結ぼうとする立場を堅持してきました。
過去を省察するのは過去にこだわることではなく過去から立ち直り未来へと進むことです。日本が隣国を不幸にした過去を省察する中で、東アジアの平和と繁栄を共にけん引していくことをわれわれは望んでいます。」
この物言いは、全くのデタラメで虚偽・捏造物です。「被害者の苦しみ」だとか「隣国を不幸にした」などと言う事は、全くの嘘っぱちです。それを小生のブログ「日韓併合100年」から数字で示しましょう。朝鮮民族の自立時な近代化でなかったために、朝鮮人には屈折した感情があることは解るが、この日韓併合の真実は、「朝鮮民族に幸せをもたらし、朝鮮半島の近代化への道を歩ませたものでした。」と言うのが真実であり、「日帝強制占領期」なる物言いも全く間違っている。韓国国会の承認のもとに、条約で併合したのです。
文在寅は、全く20世紀の自国の歴史すらわかっていない、とみえる。こんな頓馬な大統領に統治される韓国国民は、誠に可哀想である。ではデータを示そう。
李朝時代の総人口は
1777年 1,804万人(1.00)
1877年 1,689万人(0.9362) -6.38% 李氏朝鮮時代
これに対して日韓併合時代は
1910年 1,313万人(1.00)
1942年 2,553万人(1.944)+94.4% 日韓併合時代
李氏朝鮮時代には人口は6%以上も減っていたのに対して、日韓併合時代には倍近く人口ば増えていたのである。
(111005-165)→小生のブログの掲載日とそのNO.を示す。2011年10月5日掲載のNO.165
更には日本から朝鮮に対する投資額は、現在の価値で60兆円を超えていたのである。
朝鮮に対する日本の投資額
立替金その他 1億 400万円
補充金 5億3521万円
公債未償還 14億3971万円
合計 20億7892万円
3万円で現在の価値に換算すると、62兆4000億円と言う巨額になる。だから朝鮮の経済がまともになり、円滑に回転しだして成長路線に入り、人口も爆発的に増加したのである。だから黄文雄氏の言う「朝鮮は日本人がつくった」のである。
(111010-168)
(続く)