続・うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(100)

人口が倍増した背景には、日本による土地改革や農業改革があったからである。

 

       米穀生産   人口     

1906            980万人

1910年  1,000万石  1,312万人 

1920年  1,270万石  1,691万人 

1928年  1,700万石  1,913万人 

1930年  1,370万石  1,968万人 

1933年  1,630万石  2,066万人 

1940年  1,436万石  2,295万人 

 

何はともあれ、上表でもわかるように、朝鮮の人口は1906980万人→19402,295万人と34年間で2.34倍と、倍増どころか、2倍半近くも増えているのである。人口が増えるということは、朝鮮が日本のために飢餓状態にあったなどと言うことが、如何にひどい捏造で、意図的に朝鮮人たちをスリードしているかを示すものである。

 

ちなみに1906年と言う年は、第2次日韓協約(1905年)と第3次日韓協約(1907年)の間の年であり、日本政府は朝鮮と条約を結び朝鮮の政治・経済・外交などの近代化を図っていったのであり、1910年の日韓合邦(併合)も大韓帝国との条約の下に進められたものであった。

 

111021-177

 

朝鮮の山河は、濫伐、討伐などで禿山だらけで崩壊状態であった。冬季の薪のため、さらには李朝時代には食料不足のため、火田民と呼ばれる焼畑をする農民が増え続けていた。そして根っこまで掘り起こして炭を焼いていたと黄文雄氏は指摘している。この炭は根炭と呼ばれ高値で取引されたという。

そのため朝鮮半島は一部を除いて、禿山だらけで洪水と旱魃が頻繁に起きていた。日本では子供に山を描かせれば緑の山を描くが、朝鮮では山は「茶色」に塗られているのが普通であった。

朝鮮総督府1910/3月に土地調査局を開設し、全国的な規模での土地調査を始めた。この責任者が目賀田種太郎であった。この土地調査は、1910(M43)から1918(T7)にかけて、当時のお金で200万円の予算で実施された、と先に説明したが、崩壊した朝鮮の山河を蘇らせる事業も急務であった。

 

111025-179

 

 

さて日韓併合であるが、日本は好んで実施したわけではない。当時の大韓帝国からの要請と満州に居座るロシアからの復讐戦を防ぐための止むを得ざるものであった。

 

依然としてロシアは満州の北半分を監理しており、何時ロシアから復讐戦を吹っかけられるか判らなかったわけで、その押さえのためにも日露協約が結ばれ、日本はいち早い韓国の近代化を急いで進める必要があった。韓国国内にも李氏朝鮮のままでは近代化はできないと悟り、韓国を日本に併合してもらい、それにより韓国の近代化を図らざるを得ないという考えが台頭していた。

 

1909/12/4に韓国の政治結社の「一進会」が、「韓日合邦を要求する声明書」を、皇帝の高宗と首相の李完用に上奏している程である。しかしこれは対等合併提案であり、大日本帝国としては到底受け入れられないものではあったが、韓国内部でも今の李氏朝鮮のままではやがては韓国は滅亡する他ないという危機感があったことも厳然たる事実であった。しかしこの提案は韓国の世論を硬化させる事にもなったが、ある意味当時の世界情勢からすると、この併合反対は身の程知らずと言うものでもあった。

 

111006-166

 

1910/6/3、日本では「併合後の韓国に対する施政方針」が閣議決定され、1910/7/8には第三代統監の寺内正毅の設置した併合準備委員会の処理方針も閣議決定される。そして韓国首相の李完用に対して、1910/8/6、併合を提案する。韓国政府としても学相(文部大臣)一人の反対はあったものの、大勢としては日本による韓国の併合には大賛成であった。8/22の韓国の御前会議で李完用首相が条約締結の全権委員に任命され、1910/8/22漢城にて韓国併合条約寺内正毅統監李完用首相により調印された。そして8/29に裁可公布され大日本帝国大韓帝国を併合した。

 

これにより大韓帝国は消滅し、朝鮮半島大東亜戦争が終わるまで日本の統治下におかれた、とWikipediaは続けている。これにより大韓帝国と韓国統監府は廃止され、新たに朝鮮全土を統治する朝鮮総督府が設置された。

 

韓国内の多くの知識階級は日韓合邦を期待していた。次のその例を提示する。

 

これは「こん そして併合へ・・・」(http://konn.seesaa.net/article/11408909.htmlよりの引用である。是非ここも参照願う。

 

 

朝鮮時代、全権大使としてアメリカに渡った李成玉が各民族に接してみると朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていることを知り衝撃を受け、次のように述べている。「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国は必死である亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」
朝鮮全権大使 李成玉 「李完用侯の心事と日韓和合」 ]

「こん そして併合へ・・・」(http://konn.seesaa.net/article/11408909.html)より

 

 

これを見ると、欧米人の間では朝鮮人豚の境涯(境遇)と見られており、豚の境遇から脱却する術としては、日本が韓国を併合して近代化を図ってくれることしかない、と教養のある朝鮮人の間では認識されていたことが判ると言うものである。

 

111007-167

 

 

当時の朝鮮人は、欧米人からは「豚の境遇」にいた、と言うよりも豚か犬その物だと思われていたと言う。

アメリカインディアンやメキシコ人よりも下等なものと位置づけされていたのであった。

どうりで、条約を守らなくても、シレっと平気な顔をしていられるわけだ、豚だったのだ。そういえば、豚の国の大統領の文在寅は、ハス(唇)をとんがらかして(突き出して)ものを言う姿は豚そのものだ。

(続く)