2008-01-01から1年間の記事一覧

ヨーロッパと日本(27)

明治新政府は、欧米列強の軍事的・経済的圧力に対抗する為に、天皇を中心と した中央集権国家の構築を目指し、矢継ぎ早に改革を断行していった。 1869年7月25日(明治2年6月17日)、274の諸大名から天皇への領地 (版図)と領民(戸籍)の返還…

ヨーロッパと日本(26)

16.明治、惟(これ)新(あら)たなり 1867年11月9日(慶応3年10月24日)徳川幕府第15代将軍・徳川慶喜が 明治天皇に統治権の返上を上奏し、翌日1867年11月10日(慶応3年10月 25日)に大政奉還の勅許の沙汰書が下り、大政奉還…

ヨーロッパと日本(25)

中国では「易姓革命」と言う文化があるため、中国の歴史の継続性はないに等し い。易姓革命とは、「天命を革(あらた)めて、姓が易(か)わる」と言うことで、中 国の歴史は前政権(前王朝)の否定・打ち壊し、そして現政権(現王朝)の成立と なるのである…

ヨーロッパと日本(24)

この詔書は、1946年(昭和21年)1月1日に官報として発布された。此の官報 の原本は墨書であり、天皇陛下の力強い御名と御璽がある、実際の官報そのも のは印刷物であったが。上記に引用したこの詔書の赤字に修飾した部分が、 自らの神格性を否定した…

ヨーロッパと日本(23)

[新日本建設に関する詔書 ここに新年を迎う。顧みれば、明治天皇、明治の初、国是として五箇条の御 誓文を下したまえり。 曰く。 1.広く会議を興し、万機公論に決すべし。 1.上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし。 1.官武一途庶民に至るまで、お…

ヨーロッパと日本(22)

15.新日本建設に関する詔書(1946年1月1日、年頭の詔書) 以下はWikipediaの引用となる。 昭和天皇裕仁ひろひと陛下はこのことを深く理解されていたため、戦後1946 年(昭和21年)1月1日の「新日本建設に関する詔書」(年頭の詔書)に、 こ…

ヨーロッパと日本(21)

さて五箇条のご誓文の第一条の「広く会議を興し万機公論に決すべし」の真 意とは、どう解釈すればよいのであろうか。一般的には、単純に現在の民主主 義を連想するのが普通であるが、もう少し深い意味があるようである。 http://datas.w-jp.net/theImperialC…

ヨーロッパと日本(20)

ちなみに、奉答書とは、群臣が天皇の意思に従うことを表明した文書であり、 Wikipediaによると、公卿と諸侯は総数で544名、その他が288名が署名して いる。なお当日署名できなかった者は後日署名している。署名者は公卿・諸侯 のほか、天皇に直属する…

ヨーロッパと日本(19)

次に坂本龍馬の「船中八策」を列記してみる。 一策、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事 二策、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議 に決すべき事(上下両院を設置し、議会政治を行え) 三策、有材の…

ヨーロッパと日本(18)

この天神地祇御誓祭に先立ち、神祇事務局が神聖な儀式のための諸準備行事 を行い、議定兼副総裁の三条実美が天皇に代わり神前で「御祭文」を奉読する。 御祭文は御祓いのための祝詞(神に告げる言葉)なのだ。それから天皇自ら玉 串を捧げて神拝する。そして…

ヨーロッパと日本(17)

14.五箇条の御誓文(1868年4月6日、明治元年3月14日) 第15代将軍徳川慶喜による「大政奉還」(1867.11.19)、岩倉具視らの「王政復 古」のクーデター(1868.1.3)そして明治天皇による「王政復古の大号令」によっ て新政府へと「御一新」を果たし…

ヨーロッパと日本(16)

13.箱館戦争(1868年12月4日~1869年6月27日) さて話を戊辰戦争に戻そう。戦いはそろそろ函館へと移って行く 1868年5月3日(慶応4年4月11日)江戸城が「無血開城」し徳川家の「辞官 納地」が決定した。このため約8万人の幕臣を…

ヨーロッパと日本(15)

12.明治改元の詔(1868年10月23日,慶応4年9月8日) 戊辰戦争の会津若松で激戦が続く最中、1868年10月23日(慶応4年9月8 日)、明治天皇は一世一元の詔(みことのり)を発し、慶応4年を改め明治元年 とした。そして天皇一代に元号…

ヨーロッパと日本(14)

1868年7月4日(慶応4年5月15日)、いまだ抵抗する上野彰義隊を攻撃し壊 滅させ新政府は江戸以西を掌握する。 更に、1868年10月8日(慶応4年8月23日)新政府軍は会津若松城下に突 入し、これを制圧する。このとき城下町で発生した火災を…

ヨーロッパと日本(13)

11.戊辰戦争(1868年1月27日~1869年6月27日) 辞官納地が決したからと言って平穏に政権が委譲したわけではない。一山も二 山も越えなければならなかった。 山内容堂等の公議政体派が巻き返しを図り、諸藩にも動揺が広がり、慶喜が王 政復…

ヨーロッパと日本(12)

これにより倒幕の大儀名目はなくなり徳川慶喜の政権が引き続き維持されること となり、薩長や岩倉具視たちが実権を握るには、満15歳の明治天皇を手中にし て親徳川派の公家衆を排除し、朝廷を掌握するためのクーデターによる他なく 「王政復古」へと向かう…

ヨーロッパと日本(11)

10.大政奉還(1867)・王政復古(1868) 倒幕への流れが強くなる中土佐藩の参政・後藤象二郎は、「政権を朝廷に返還し 広く人材を登用し議会政治を推し進める」、などと言う坂本龍馬発案の「船中八 策」を、山内容堂に進言した。容堂はこれを妙案…

ヨーロッパと日本(10)

9.四候会議(1867年・慶応3年5月) かねてより風邪気味であった孝明天皇はその病状を悪化させ、1867年1月 30日(慶応2年12月25日)崩御される。その死因については諸説あるが天然 痘を患ったと言うのが正確なものであろう。直ちに孝明天…

ヨーロッパと日本(9)

8.薩長同盟(1866年3月7日)と第2次長州征伐 この間、幕藩体制から脱却して新しい日本を早く築き上げるたるめに、薩摩と長 州とを仲直りさせ同盟を結ばせる動きが密かに進められていた。土佐藩士の中 岡慎太郎、土方楠左衛門(ひじかた くすざえも…

ヨーロッパと日本(8)

7.蛤御門の変(禁門の変)(1864年8月20日) 京都を追われた長州を中心とする尊皇攘夷派は、潜伏して勢力回復を図ってい た。そして公武合体派を暗殺し孝明天皇を長州へ連れ去ると言う御所焼き討ち 計画を立案していた。しかしその武器を調達する商…

ヨーロッパと日本(7)

6.下関戦争(馬関戦争)と文久の政変 (1863年5月、1863年9月、1864年8月) これより前、1862年9月朝廷は江戸へ勅使を送り、攘夷を申し付けている。 これを受け、徳川家茂は1863年3月に上洛し朝廷に、5月10日に攘夷を実行 す…

ヨーロッパと日本(6)

5.生麦事件と薩英戦争(1862年9月、1863年8月) そして1862年9月14日(文久2年8月21日)生麦村(神奈川県横浜市鶴見の 生麦)付近で、薩摩藩の島津久光の行列に突っ込んだイギリス人4人の内、商 人のリチャードソンが薩摩藩士に切り…

ヨーロッパと日本(5)

4.日英修好通商条約(1858年) 今年は日英修好通商条約調印後150周年に当たる。そして今年一年を「UK- JAPAN 2008」と呼称し、英国の創造性を紹介し日本とのコラボレーションを強化 しようとしている。英国の芸術、科学技術、クリエイティブ産業分…

ヨーロッパと日本(4)

3.ナポレオン戦争(1803年~1815年) 第2次対仏大同盟に包囲されたフランスは、ナポレオンなどの活躍により戦況を 盛り返し、1802年3月25日、フランス北部のアミアンで講和条約が締結され (アミアン条約)、フランスがイタリアを含 む周…

ヨーロッパと日本(3)

この事件は明治維新の60年前、ペリー来航の45年前の出来事である。ちなみ にペリーは、嘉永6年6月3日(1853年7月8日)に黒塗装の軍艦4隻を率いて 浦賀沖に現れている。従って、このイギリス船フェートン号事件はペリー来航の 半世紀も前の起こ…

ヨーロッパと日本(2)

2.長崎の出島(1634年~1859年) また、オランダがフランスに占領されたことは、遠く日本にも少なからぬ影響を与 えている。(フェートン号事件) ちなみに日本とオランダとの関係は、1600年にオランダ商船リーフデ号が現在 の大分県臼杵市に…

ヨーロッパと日本(1)

遠く話をヨーロッパのフランスに持っていこう。 1.フランス革命と革命戦争(1789年~1802年) 18世紀後半のフランスでは、ブルボン王朝のルイ16世の時代が終わりを迎え ようとしていた。1789年7月14日、アンシャン・レジーム体制(旧体…

靖国神社に参拝しよう(17)

6.追記・第3章(4)スリム中将の話について この3章の引用元となった「私達の先人は大東亜戦争を戦ったのです」の大元 の書籍、「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助(なごしふたらのす け)編が、ようやく手に入った。それを引用して、以下この背景…

靖国神社に参拝しよう(16)

「国家と言う共同幻想を維持するためには国家としての誇りが必要です。 この点、小泉さんはうまく立ち回ったと思います」 対米従属ともいえる姿勢を貫いた小泉純一郎首相が5年5ヶ月も政権を維持 できたのは、靖国問題をめぐり中国に対して日本のプライドを…

靖国神社に参拝しよう(15)

5.内的自己実現のため、靖国神社に参拝すべし。 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080906/stt0809060758004-n1.htm の産経ニュース『[eye]福田首相の「客観」と無念「あなたとは違うんで す」発言の真意は』に、「なるほどなあ」と言う記…