Chinkoro中国の手長猿・温家宝が、今年4/11~4/13の間日本を訪問したことは、記憶に新しいだろう。
やらせなくても良いものを、4/12には日本の国会で演説もしている。この演説は中国国営中央テレビを通じて、中国へも生中継された。
その際に、原稿にはあった「戦後日本の平和発展に寄与したことを評価する」と
言う部分を意図的に読み飛ばしている。安倍首相も安倍首相で、そのことに対
して、なんら苦言を呈していない。「温首相は以前から戦後日本の歩みを評価し
てもらっている」と言うのみで、全くだらしがない。
「非情に遺憾だ」くらいは言うべきで、一本筋を通してほしかった。
だからガス田開発では、なめられっ放しになるのだ。
更にもうひとつ、おかしなことがあった。
それは手長猿が「創価学会」の池田名誉会長と会談したことだ。
会談は中国側から打診され、4月12日都内のホテルで行われた。創価学会と
は言うまでもなく公明党の支持母体である。
会談は30分の長きに渡り、池田氏が「氷を溶かす旅は大成功だった」とのたま
えば、手長猿は「今回の訪問は最も困難な訪問であり、必要な訪問だった」と応
じたと言う。
何故Chinkoroが創価学会とのパイプを持っているのか、不思議ではないかい。
実はChinkoroはその創価学会とのパイプを通じて公明党を操り、自民党へ圧力
をかけ、日本を意のままに操ろうとしている、いやもうすでに操っている。安倍晋
三の靖国参拝の「あいまい戦術」がそれだ。当初は「行くか行かないは言わな
い」と言いながら参拝してくれると思ったが、どうもそうではないらしい。これは行
かないための戦術と見た。
それでは困るが、では何故Chinkoro中国と創価学会がつるんでいるのか。以
下、SAPIOの5/9,5/22号に連載された袁翔鳴氏の「中国対日特務工作
白書」などから紐解いてみよう。
(1)創価学会
・人を幸せにする宗教で、教育改革による社会の向上を目指すとした宗教団
体。実際には折伏と言ってあらゆることに強制勧誘を行い、社会問題化もし
ている。//www.geocities.jp/sokanohonsitu/index.html
・そのためか、創価学会はH3/11月に、日蓮正宗より破門されている。
・会員数は公称827万世帯、2,000万人は下らないと言われている。
・公明党は1964年(S39)に創価学会を支持母体として設立された政党
で、王仏冥合(天皇と日蓮宗が結びつき天下を治める)を理念とし、3代会長
の池田氏の天下取りのための私党といえる。天下取りのためには政治介入
が最も手っ取り早いと言っている。 //vip.neontetra.net/wiki/33.html
・学会配下の新聞・出版物としては、日刊「聖教新聞」・月刊誌「潮」「第三文
明」・女性誌「パンプキン」・教育誌「灯台」などで、親中的な記事が多い。
公安関係では「中国に関して、日本の世論形成に大きな影響力を与えること
になる。」と警戒している。
・第3代会長池田大作は現在名誉会長となり、その著書「人間革命」の革命は
中共由来であり、毛沢東を敬愛し文化大革命を絶賛しているとのこと。
//specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-137.html
・また、池田大作は在日朝鮮人で本名は「成大作ソン・テチャク」と言う、創価
学会幹部の2/3は在日である、と言われている。
//www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sokakitacho.htm
・1962(S37)年11月9日、「日中総合貿易に関する覚書」が調印され、
経済交流が再開される。日本側・高崎達之助通産大臣、中国側・寥承志。
1972年日中国交開始まで、相当程度まで公的な交渉窓口としての機能も
果たした。
・創価学会の本部と高崎達之助の自宅がともに新宿区信濃町にあり、近く
だったことから池田と高崎はしばしば会う様になる。
そして訪中した高崎が、周恩来に「創価学会と言う元気な団体がある」との
話をした。
・周恩来は何のことかといぶかったが、寥を通して高崎の家に間借りしている
孫平化に、調べさせた。孫はその後1963年頃「会員数1,000万人、
日本の人口の1割が学会員」と報告する。周はその後も調査を続行させる。
・文化大革命('66~'76年)により、事業家や文化・知識人や共産党員までも
が、大衆を巻き込んだ暴力的な大粛清をうけ、多くの資本財や文化財が
甚大な被害を受け、これで中国の経済発展は20年は遅れたと言われて
いる。
期間中の行方不明者を含めた虐殺者数は1千万人とも3千万人とも言われ
ている。
毛沢東の大躍進政策は失敗に終わり、2,000万以上の餓死者を出し、
毛沢東は失脚していた。そのため、再度権力の奪還を目指して惹き起こした
権力闘争が、この文化大革命なのである。
・この間中国は世界との断絶状態となり、中国は半ば鎖国状態となっていた。
・周恩来は寥らに指示して、学会を最大限利用して、日中国交正常化を進め
るため、「対日工作4人組」を組織した。日中国交正常化とは、裏を返せば、
日本と台湾を断行させることに他ならない。周の真の狙いはここにあった
のだ。そのためこれら4人組は、寥承志を含め対日特務工作などを行ったこ
とのある経験者を当てている。
・4人組の工作は、作家の有吉佐和子や松村謙三(元文相)らを通じて執拗
に行われた。
1965年6月、有吉は池田と懇談した。池田が中国に関心を持っていること
を知ると当時青年部長だった(第5代会長の)秋谷栄之助に電話で、「中国の
代表者に会ってはどうか」と連絡した。秋谷から報告を受けた池田は、「日中
友好を考える上で、重要な機会だ。青年部の幹部達で会ってはどうか」と応
じた。
(続く)