岡田武史監督に物申す

2008年2月24日重慶での日本女子サッカーチームの戦い方は、見事でした。見てい

て気持ち
良いものでした。

あきらめずに最後まで走る、ボールを持った中国選手にはきちんと接触してボー

ルをとろうとする、ここぞの時は全員が駆け上がる、そして物惜しみせずディフェ

スに全力で走り返る。見ていて後半にはバテないかと心配したほど、

日本女子はよく走っていた。

なでしこジャパンの監督は、佐々木則夫(49歳)。大宮アルディージャとその

前身のNTT関東サッカー部でもプレイ。1997年からはその大宮アルディージャ

の監督を務め、大宮アルディージャの強化・育成に貢献した。

そして2008年1月からは前監督大橋浩司のあとを受け、日本女子サッカー

代表監督に就任する。緒戦の東アジアサッカー選手権2008の中国、重慶では

三連勝して日本女子に初のタイトルをもたらす。

監督としての佐々木則夫なでしこジャパンの関係は、わずか3週間と言うが、

任の大橋監督時代はその副官として腕を振るっていたので、大橋、佐々木の

両監督がこのタイトルをもたらしたものとは言える。しかしそう言っても、佐々木

監督の手腕、見事でした。

何はともあれ、なでしこ達は良く走った。オシムの言う通りだ。

これに対して全く走らなかったのが、2月23日の男子サッカー韓国戦だ。

いったいあれは何だ、サッカーではない、単なる玉ころがしではないか?

走らない、相手に対して削りに行かない、ボールを追わない、離れて見ている。

これではサッカーにはならない。

2月20日の対中国戦。ラグビーのようなラフプレーや殴り返したいほどの偏向

ャッジの中、日本選手はガッツを失っていなかった、と思う。

この中国戦を見ていた日本人全員が、怒りに震えていたと思う。事実、監督の岡

田もその度に飛び出しては腕を振り上げ、吼えていたではないか。無理もない。

こんなことで、かわいい選手に怪我をさせられてはどうしようもないし、

日本チームへの侮辱だ。

サッカーをはじめスポーツは、一定のルールの下で、更に公正・公平なジャッジ

のもとに成り立っているものである。

見ていて当然抗議すべきであると感じていた。日本サッカー協会の川淵会長が

真っ先に「我慢ならない」と強い不満を表明し、抗議する旨の表明をした。それを

聞いて我々はほっとしたものだ。当然、岡田も監督として、サッカーを戦う者とし

て、強行に抗議するものと思っていた。

しかしその反応は意外なもので、その正反対の対応であった。

「私の仕事とは関係ないので協会にお任せすることにした」と話し、この問題から

は距離を置いている。一体全体、岡田のこの態度は、何だ。

双方が絶対に守らなければならない「ルール」の下で、しかも公明正大な「ジャッ

ジ」が有ってこそ、スポーツの試合は成り立つ。

監督たるものは、ルールの遵守とジャッジの正確さを成り立たせる推進者ではないか。

そしてその下で選手を強化・育成し、戦わせるものではないか。それがスポーツ

と言うものだ。

「私の仕事とは関係ないので協会にお任せすることにした」とは、監督の権利と

義務を放棄したものに等しい。

完全なルールの遵守と全うなジャッジメントの確立を目指してこそ、スポーツを戦

う監督と言うものだ。それでこそ選手も心置きなく戦える。

そうでなくては、そのルールとジャッジを信じて戦う選手がかわいそうだ。岡田は、

彼等日本の選手を見放していることになる。これでは激戦を戦えない。

ひょっとしたらワールドカップには、日本チームは出場できないかもしれない、と

危惧する。

案の定、韓国戦では、誰も真剣に走らなかった。これでは勝てない。

監督がこのような考え方や態度を示せば、選手達は鼓舞されない。監督のこの

雰囲気は選手達にすばやく伝染する。そして選手たちは走らなくなる。

このことを岡田は、「前半はまだまだ詰めが甘く、また守備でも甘さがあって失点

してしまった。」と選手の所為(せい)にしているが、これは岡田監督の持つ甘さ

が原因だとは気付いていないようだ。

更に、「韓国のがむしゃらさには、そんなに簡単には勝てない。ハーフタイムに

選手達に少し言いました。」などと人事のように言っている。

日ごろの身も心も頭にも厳しい態度があれば、こんなことは言わなくても選手達

には通ずるはずだ。

日本サッカー協会も、岡田に甘えてはいないか、また、甘やかしてはいないか。

人間として、否、日本に住む人間としての「ひたむきさ」が発揮されれば、目標に

向かう真摯なパッションがほとばしる筈だ。それが周りの人間にも伝播する。

言葉を変えれば、それがリーダーシップと言うものだ。

近頃は理性的で薄っぺらな、一見格好よさそうな人間が多すぎる。良くない。

これでは「加茂周」と同じ轍を踏むことになる、のではないかと危惧する。

(以上)