沖縄戦教科書検定問題(1/10)

1.'07.12/26、「日本史」教科書検定

2007年12月27日の中日新聞、朝刊に次のような記事の見出しが踊っていた。

集団自決軍関与の記述復活、教科書訂正・「強制」は認めず

以下、その記事の内容を転記してみる。

『太平洋戦争末期の沖縄戦をめぐる高校日本史の教科書検定問題で、文部科

学省は26日、住民が日本軍によって集団自決に「追い込まれた」などとする表

現で、教科書六社八点の訂正申請をすべて承認した。三月に公表した検定意

を踏まえ、軍による「強制」や「強要」などの表現は認めなかったが、軍の関与

自決の主な要因とした。・・・・・・

 ・・・沖縄県側が求めていた検定意見の撤回と「強制」記述の復活は、いずれも

実現しなかった。

渡海紀三郎文部科学相「歴史の教訓を風化させないよう願う沖縄県民の気

持ちを重く受け止め、沖縄戦に関する学習が一層充実するよう努めたい」

の談話を発表した。

「追い込まれた」は、検定意見で削除されたり、日本軍という主語が不明確に

なったりした表現。各社は訂正申請で、本文や側注で軍による手榴(しゅりゅう)

弾配布や、捕虜になることを禁じる教育があったとする背景説明を加えた。

訂正申請を受け検定審が開かれたのは初めて。日本史小委員会が十一月

以降、計七回の会合沖縄戦軍事史の専門家九人から文書で出された

意見などを基に審査を重ねた。

この過程で、集団自決の背景として「複合的な要因」の記述が必要と判断。

直接的な軍の命令は確認できないとして、強制などの単純な記述は生徒の理

解が不十分になるとする見解を、教科書調査官を通じて教科書会社に伝え

た。この結果、・・・・・・

側注で最近の見方として・・・・・・

検定では、日本軍による強制で住民が集団自決したとする記述すべてに「実

態について誤解するおそれのある表現」との意見が付き、教科書会社が「日

本軍により」と言う部分を削るなど修正した。

沖縄県で反発が広がり、文科省九月の県民大会を機に記述の修正を容

認。各社が11月、訂正申請していた。』 と言うもの。

2.内容検証

このことを、平たく言うと下記のようになる。

(1)2007年3月30日の

高校日本史の教科書検定で、沖縄・慶良間列島の住民の「集団自決」に対する

日本軍の関与の記述が削除された。

三省堂、日本史A,B]

(原文)

さらに日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ

容疑をかけられて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨を極めた。

↓↓↓↓↓

(検定決定記述)

追い詰められて「集団自決」した人や、戦闘の邪魔になるとかスパイ容疑を

理由に殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨を極めた。

(2)これにたいして、2007年9月29日(土)に、

宜野湾市の海浜公園で、琉球新報沖縄タイムスと言う地元の左翼系二紙が

中心となって展開した(文科省の)「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が、

目標5万人で開催された。実際に動員された人員は2万人程度と言われている

が、翌日の9月30日付けの朝日新聞朝刊では、「沖縄11万人抗議」と言うとん

でもない数字になって表れた。

この「アサヒった」数字については、項を改めて述べてみたい。

(3)この朝日の「11万人」(大誤報)

にびっくりした官房長官町村信孝福田康夫は早速、文科相の渡海に検定

をやり直すように圧力をかけた。そして渡海紀三郎沖縄県民の気持ちを

受け止め、何が出来るのか検討する」と述べ、教科書出版社から訂正申請が

あった場合は「真摯に対応したい」と語ることになる。

週明け且つ月替わりの10月1日(月)、福田康夫は県民大会の感想を記者団

に問われ「ずいぶん沢山集まったね。沖縄県民の気持ちは、私もわかり

ますよ。」と答えている。

そして夕刻の記者会見で、町村信孝「訂正が出来るかどうかは、関係者

の工夫と努力と知恵と言うものがありうるかもしれない」と訂正の可能性を

ほのめかした。

この後、上記の渡海の発言となるのである。

(続く)