3.集団自決の真実
(1) 前書き
この書籍では、集団自決を記録したものには、次の三つがある、と述べている。
①『沖縄戦記・鉄の暴風』S25.8.15初版、沖縄タイムス社発行
沖縄タイムス社理事の豊平良顕が当時政府に勤めていた太田良博に依頼
し、彼が座間味村の助役である山城安次郎と復員してきた島民の宮平栄
治を使って資料を集めて、作成したもの。大江健三郎の「沖縄ノート」の
基になる。
【…、思いも掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた。『こと、ここに至って
は、全島民、…必勝を祈って、自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い、…全
員玉砕する』と言うのである。】と、自決命令が赤松隊長から出されたと
明言している。
②『慶良間列島、渡嘉敷島の戦闘概要』S28.3.28編纂、渡嘉敷島遺族会編
(古波蔵惟好元村長、屋比久孟祥元防衛隊長、役所職員ら)
【…、住民の集結場も砲撃を受けるに至った。時に赤松隊長から防衛隊員
を通じて、自決命令が下された。】と、自決命令が赤松隊長から出された
と明言している。
③慶良間戦況、報告書『渡嘉敷島における戦争の様相』作成年月日不明、渡
嘉敷村、座間味村共編(琉球大学図書館にあるガリ版刷り資料と言う)
【事ここに至っては、如何ともし難く、全住民は皇国の万才と日本の必勝を
祈り、笑って死のうと悲壮な決意を固めた。】と、自決命令が赤松隊長から
出されたとは言っていない。
しかもこれら三つの資料は、次々と前のものを書き写していると言う。そしてその
発生順は、『鉄の暴風』→『戦闘概要』→『戦争の様相』となっていると言う。
鉄の暴風がすべての種本となっているのである。
その証拠として、三つとも米軍上陸の日を3/26と間違って記載していると言
う。正式には3/27の午前9時8分からである。
次にこの「鉄の暴風」における虚妄さを、「集団自決の真実」との対比で、述べて
みる。
(2) 『鉄の暴風』における虚妄度合い
1.P50(「集団自決の真実」の記載該当頁、特記なき物は「鉄の暴風」での記述内容)
【ところが、隊長は陣地の壕深く潜んで動こうともしなかった。…彼は『もう遅い、
かえって企画が暴露するばかりだ』という理由で出撃中止を命じた。】
↓
これに対して真実は
《P108、3/25pm8時過ぎ赤松隊長は3分の1の特攻舟艇を泛(はん・浮かべ
る)水することを命じた。P112、視察中の大町大佐は、…。しかし大町大佐は
不機嫌そうにまず泛水中止命令を出す。それからようやく、前後の経緯を聞く。》
と言うことで、動こうともしなかったのではなく、自ら動いていたのであり、上官
たる大町大佐の命令で、出撃が中止されたのである。「鉄の暴風」は全くの
虚妄である。
2. P52~53
【…彼等が西山A高地に陣地を移した翌27日、地下壕内において将校会議を
開いたが、…』と言うことを主張した。】
↓
《P129、自分で掘らなければ、いるところもなかったのである。P132、惨憺た
る泥まみれの一夜であった。指揮官自らが穴掘りをしたのである。P133、地
下壕はございましたか?→ないですよ、ありません。P133、…将校会議という
のはありませんか?→いやあ、ぜんぜんしていません。只、…》
3.P53
【…そのとき赤松大尉は『持久戦は必死である。軍としては最後の一兵まで戦
いたい、まず非戦闘員を潔く自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食糧
を確保して、持久態勢を整え、上陸軍と一戦交えねばならぬ。事態はこの島に
住むすべての人間の死を要求している』と言うことを主張した。】
↓
《P145、…隊長さんの言われるには、我々は今のところ、最後まで闘って死ん
でもいいから、あんたたちは非戦闘員だから、最後まで生きて、生きられる限
り生きてくれ。只、作戦の都合があって邪魔になるといけないから、部隊の近く
のどこかに避難させておいてくれ、ということだったです。(安里喜順元駐在巡
査の話)》
このように自決命令を出すどころか、出来る限り生き延びよと諭しているので
ある。いわんや自決命令など出すはずがない。(続く)