9.P228(「鉄の暴風」の著者太田良博氏がわざわざこの曽根氏のために書き
留めたもの)
【…米軍が、伊江島の住民の中から女五人、男一人を選んで、渡嘉敷島守備
隊長・赤松嘉次大尉の陣地に、降伏勧告状をもたせてやった。軍使はふつう殺
さないのが常識である。…ところが、彼等は、日本軍陣地で捕らえられ、各自穴
を掘らされ、斬首された。実に残虐で、不愉快である。…当時、渡嘉敷国民学
校の教頭だった、豊見城村出身の大城徳安が、注意人物と言う理由で斬ら
れた。赤松隊長のやり方を、ひそかに批判したことが知られて、陣地に連れて
行かれて、重労働を強制されていたが、妊娠していた妻のことが気になった
のか、陣地をはなれて家族と会いに行ったために、縄でしばられ、陣地付近に
つれて来られて斬首された。】
↓
《P230、伊江島の住民は、勧告状を持って来たといっても、軍使ではない。国
際法上の軍使と言うのは、白旗を掲げ、司令官が軍使として命じたと信ずるに
足るもの、たとえば制服を着用していなければならない。つまり正規の戦力構
成員でなければならない。ましてや敵国人を軍使に使うことなど考えられないと
いう。…陸軍刑法には、死刑に処せられるべきものとして、…「軍事上の機密
を敵国に漏洩すること」、更に「隊兵を解散し又はその潰走混乱を誘発し又は
其の連絡集合を妨害すること」と言うのがある。…つまり投降勧告の意志を、
部下に知らせたり、配置などを見たりして、通敵されるかもしれない。》
《P233、…島の人々から見れば大城教諭は只の教員であったかもしれないが
、軍側から見れば彼はれっきとした防衛隊員であった。その人が時々戦線を離
脱して家に帰ることが、そんなに悪いのだろうか、と私も疑ったのであった。…
沖縄の場合の防衛隊員というのは、れっきとした兵であった。…召集されたの
だから、正規兵であった。ただし彼等は他に類例を見ない気の毒な兵であ
った。…「敵前逃亡は死刑」が国民一般の常識であった面もなくはない。》
米軍側は、伊江島の住民と言う全くの民間人を軍使に使った。軍使と言うのは
正規の戦力構成員でなければならない。軍服を着ていない兵力はスパイと看
做されて殺されても仕方のない兵力である。もし米軍が軍使を出すのならば、
民間人などを使わずに、自分たちの将兵の中から出して、白旗を掲げて堂々
と来るべきであった。民間人を軍使として使った米軍の将校は、戦犯として
裁くべきであった。民間人を殺した重罪人である。なぜこのことを「鉄の暴風」と
言うよりも「沖縄ノート」は問題にしないのか。
10.P268(S45.4.7の沖縄タイムスへの投書)
【…(赤松は)渡嘉敷住民を自決させ、自分は安全な壕の中で、漁民に魚をと
らせて食べて肥え太っていると言っていました。…壕から出て来た時は、肉が
たれ落ちるほど肥え太り、しかも肥満した愛人を連れ、その後からユーレイのよ
うに、栄養失調でやっと歩いてぞろぞろ出てくるのを見たとき、私は手榴弾でも
あったら、投げつけてたたき殺したい衝動に駆られました。…】
↓
《P273、谷本候補生談「隊長は我々と山を下りてはおりません。一足先に8月2
3日、米軍と協定を結ぶために、十人をつれて、米軍陣地に入りました。そこで
調印して、その儘、隊長と他二名は、米軍陣地へ人質みたいにして残ったん
です。…(愛人を連れて山を下りることは)隊長には、物理的に出来ません。何
人もの目撃者があることですし」》
8月26日には、残りの部隊が村人たちと山を下りている。村人たちのの中に
は女性たちもいた。赤松隊長は決して太ってはいなかった。(太田正一候補生
、赤松大尉の当番兵)と言うように、これらの投書は、全くの作り話である。当
時の風潮とはいえ、よくもこんな作り話を、投書もするし、新聞に載せたもので
ある。
11.結論
以上10項目にわたり、赤松神話の虚妄振りを見てきたが、いかに「鉄の暴風」
や赤松大尉に関する風評が間違ったものであるかが、わかるであろう。
それにしても、曽根綾子氏の精力的な、しかも客観的な、足を使った、出来うる
限りの多くの島民や関係者と会った取材は、見事と言わざるを得ません。この
ことにより、渡嘉敷島の住民の「集団自決」はあったにしても、「軍の命令や強
制」がなかったことが証明されたのです。「軍の命令や強制」はなかったのです。
それに対して、大江健三郎は、全く実地の調査もせずに「沖縄ノート」を作って
いるのです。そして「軍の命令や強制」がなかったことが証明されても、まだ、
「集団自決」は「軍の強制」によって引き起こされた、と言っているのです。
本来ならば、大江健三郎と大阪地裁の深見敏正裁判長は、世が世なら天誅
組とか必殺仕置き人のお世話になってしかるべき人物なのである。世の中、間
違ってる!
(続く)