長野での聖火リレー、「中国警備隊」を完全排除せよ。(5/(6+2))

以下、http://ja.wikipedia.org/の「北京オリンピック」から引用して紹介する。

2.第29回夏季オリンピック

招致提案ではパリやトロントが技術的により優れているとの評価であったが、

サマランチ率いるIOCは商業的観点から、世界一の人口を持つと共に経済成長

著しい中国でオリンピック開催を実現させることに、上述のように特に意欲的で

あった、と言われている。

2005年7月のシンガポールでのIOC総会で、ソフトボールと野球は、2012年

のロンドンでは除外されることが決まっているので、北京が最後となる。

共に日本の金メダル候補種目であることは、ご承知のことと思う。

また、競泳全種目と体操団体総合・個人総合の決勝が、すべて午前中に行われ

ることになった。普通大きな国際大会ならば、決勝は午後に行われる。選手達

は午後の決勝戦のために午前中に準備をするのが慣わしだ。

これは、アメリカで人気のある競泳と体操の生中継放映を、アメリカのゴールデ

ンタイムの夜の時間帯にするためだ。アメリカ国内における独占放映権を持っ

ているNBC放送が、IOCに「午前中に決勝戦」が行われるよう「ごり押し」した

ためだ。

各国のオリンピック委員会からは当然抗議があったが、NBCは、北京オリン

ピックの運営費の半分近くをテレビ放送権料として支払っており、それがなけ

れば北京オリンピックの開催は不可能であったと言われている。

やっぱり中国でオリンピックを開催するには、相当早かったと言わざるを

得ない。

3.聖火リレー

今全世界で見世物になっている聖火リレーは、2008年3月31日北京を出発、

世界一周して8月8日に再び北京に戻ってくる予定だ。130日間、13万7000

kmと、期間・距離共に過去最長を記録する予定だった。登る必要もないのに、

8848mのエベレストにも登る。しかし現在各地で聖火リレーのルートの変更・

短縮がなされており、この企画は失敗の部類に属すると言っても良いであろう。

聖火リレーの経由都市についても、台北の取り扱いを、中国五輪組織委員会

が急遽下記の様に変更してしまったことから、台北に聖火受け入れを拒否さ

れてしまい、23カ国だったものが22カ国となってしまった。中国大陸の省も含

めると、経由地域は53が52地域となり、53番目が終点の北京となる。

当初、

台北→香港→マカオ→中国大陸海南省→各省へ)と言うルートを、

香港→台北マカオ→中国大陸に変更した。

これに対して、台湾は、「中国が台湾を自国内の路線と位置づけようとしている」

として強硬に抗議し、聖火受け入れを拒否してしまった。

このことを見ても、いかに中国がこの北京五輪を政治的に利用し、私物化しよう

としているかがわかる。中国には、この世界的な行事のオリンピックを開催

する資格も適性もないことがわかると言うものである。

4.大会マスコット

また、大会のマスコットには、5匹の架空動物をあげている。もちろん北京五輪

組織委員会が作成したものだが、これらは、魚、パンダ、カモシカ、ツバメとオ

リンピックの聖火をイメージしたものと言う。しかし、パンダとカモシカは中国本

体にいる動物ではない。これらはチベットの動物なのである。こんなところにも

チベット支配を進めようとする意図が見受けられる。だからチベット人は反発す

る。中国は「ダライ・ラマ派が画策した」と言っているが、実は遠謀深慮の上、中

共産党政府が仕掛けていると言う。中国政府はいろんな仕掛けをチベット

仕掛けて、暴動を起こさせて、激化させ、拡大を目論み、戒厳令を発令しようと

虎視眈々としていると言う。そのため、ダライ・ラマ14世は必死に平静を保つよ

うに呼び掛けているのだと言う。

5.チベット戒厳令

皆さんの記憶にも新しいように、1989年3月チベットで激しい独立運動

起こった際に、当時チベット自治区共産党書記は、中央政府からの命令を

受けて、独立運動を徹底的に弾圧し、戒厳令を敷いたのだった。その共産党

書記こそ、今の中国の国家主席である胡錦濤だった。

もしチベット戒厳令を敷くことができれば、中国に「好まざる」人物を一網打尽

に出来る。そしてオリンピックを観戦に来た観光客やチベット支援者にチベット

を訪問することも出入りすることも禁じられるし、中国にとっては好都合なので

ある。

ではなぜ2008年3月14日に、チベットのラサで反中デモが激化したのであろ

うか。

今から49年前の1959年3月に、中国チベット軍区の司令官ダライ・ラマ

幽閉しようと画策したことから、平和蜂起が勃発した。そしてこの3月10日は

チベットにとっては、平和蜂起49周年にあたるのである。当然今年の3月10日

にもチベット人が記念の行事や集会を行うことは中国政府も把握していた筈だ。

しかし中国の武装警察は、この行事や集会に対して、妨害を始めてチベット

衆をあたかも徴発するような仕打ちを続けた。そして3月14日の抗議行動と

なったのであり、これを利用して中国政府はあわよくばチベット戒厳令を敷こ

うとしていた、と推測されている。その19年前チベット戒厳令を敷き、独立運

動を弾圧し中央に認められた胡錦濤が、2008年の第29回夏季オリンピック

を開催するのである。

6.チベットの支配は?

先に、聖火リレーチベットのヒマラヤにまで登らせるということを記述した。これ

なども、オリンピックを政治の道具として使い、チベット支配の正統性をアピール

しようとする中国の見苦しいまでの執念である。これにはチベット人も反発する

はずである。

ダライ・ラマ14世は、昨年10月にアメリカ連邦議会から、議会黄金勲章を授与

されている。中国は、思い上がっていたのではないか。世界はすんなりとチベッ

トの戒厳令を認めてくれると、傲慢になりすぎていたのではないか。世界はそん

なに甘くはない。今回のことでよくわかったことであろう。(否、わかっていないか

もしれない。日本を始め世界は、慎重に、中国に対してゆかなければならない。)

しかし今回のチベットの件では、中国にとっては、大きなダメージとなったことに

は、疑問の余地はない。

(以上はWiLL5月号、中国はチベットに何をしたか。[ペマ・ギャルポ著]による。)

(続く)