映画「靖国」に物申す(2)

もうひとつ付け加えると、広島への原爆投下は1945年(S20年)8月6日

午前8時15分にアメリカのB29爆撃機「エラノ・ゲイ」機より投下されたが、それ

に科偵察機で随伴して広島上空から成果を観察した”ハロルド・アグニュー”

博士(後のロスアラモス研究所長)は、2005年のことだと思うが、TBSの「戦後

60年」と言う番組で広島に招待され被爆者と対談した時に次のように述べてい

る。

「もし誰かを非難するなら日本軍を非難すべきだ。潔白な一般市民などいない。

戦争遂行に何がしかの事をしている筈だ。あなた方は生き延びただけ運が良い。

私は謝らない。

日本国もどこにも謝る必要はない。福田さん、分かりましたか。

この戦勝国11カ国とは、米・英・加・仏・蘭・露・台湾・新西蘭(NZ)・印・比であり、

靖国参拝にいちゃもんをつけている中国・朝鮮は含まれていない。これら中・韓朝

二カ国は、日本の首相の靖国参拝に悶着をつける資格がないのである。もし

あるとすれば、それは誹謗・中傷の何物でもない。

3、サンフランシスコ平和条約の第11条と第25条

日本は1951年9月8日サンフランシスコ対日平和条約に調印し、晴れて

独立国となった。当時の吉田首相は、閣僚および衆参両院議長を引き連れて、

その年の10月18日の秋の例大祭靖国神社を参拝した。日本が独立国となっ

て始めて実施した公式行事が、靖国神社への参拝であった。上坂冬子氏の

「戦争を知らない人のための靖国問題」(文春文庫)には、そこらへんの事情

を簡潔に分かりやすく解説している。それを引用しながらまとめてみよう。

[第11条]原文

『 日本国は、極東国際軍事裁判所ならびに日本国内および国外の他の連合

戦争犯罪法廷の裁判判決の誤訳受諾し、且つ、日本国で拘禁されて

いる日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁

されている者を赦免し、減刑し、および仮出獄させる権限は、各事件について

刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基づく場合の外、

行使することが出来ない。』

[第11条の前半部分]

日本はこの「裁判の判決を受諾せよ」、といっている。しかし当初日本はこの

分を誤訳して、「この裁判を認めよ」と誤訳した。そうするとあの理不尽な

東京裁判そのものを認めよ、と言うこととなり、日本はあの裁判に永久に異論

を挟めないこととなってしまう。しかしこの部分は戦犯の処刑に対して、さかの

ぼってクレームをつけてはならないと言う単なる押さえなのである。

もちろん処刑が行われた場合には、そんなことは取り返しはつかないことは当

たり前である。

これは独立した日本が独断で刑の執行を停止することがないようにとした、単

なる歯止めなのであり、東京裁判の正当性を認めなければならないと言うこと

ではない。このことはすでに定説となっている。

[第11条の後半部分]

この部分では、勾留されている戦犯を釈放する場合の手続きを定めている。

日本は独立したのであるから、戦犯の釈放も日本の手で行うことが出来るの

であるが、その場合には裁判の当事国の了解を取れ、と言うものである。

そのため日本はこの規定どおり関係諸国の了解を取り、次々と日本の手で戦

犯を釈放してゆき、1958年(S33年)に巣鴨刑務所は閉鎖したのである。尚、

海外の刑務所としてはフィリピンのモンテンルパなどの名前には、思い当たる

諸氏も多いことと思う。

そして次には第25条をみてみよう。ここにはもっとすごいことが書かれている。

即ち、『中・韓は、A級戦犯に対しての発言権はない』、と直接的ではないが、

規定しているのである。

(続く)