「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決
して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打
開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高
き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を
意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”と言
うのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本
の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜
戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争---この
二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」
「大東亜戦争で日本は敗れたと言うが、敗れたのはむしろイギリスをはじめと
する植民地を持った欧米諸国であった。彼等はこの戦争によって植民地をす
べて失ったではないか。戦争に勝った負けたかは、戦争目的を達成したかどう
かによって決まる、と言うのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘
に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こ
そ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊された
し言うが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者
は確かに帰ってこないが、しかし彼等は英霊として靖国神社や護国神社に
永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」
(15)ラダ・ビノード・パール元・極東国際軍事裁判所 判事
(インド、法学博士、昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演)
要するに彼等(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとど
めることによって、自分等のアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の
17年間(昭和3★~20年、東京裁判の審理機関)の一切を罪悪と烙印する
事が目的であったに違いない。
・・・私は1928年(S3年)から1945年(S20年)までの17年間の歴史を2年
7ヶ月かかって調べた。この中には、恐らく日本人の知らなかった問題もある。
それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべ
きアジア侵略の張本人であると言うことがわかるはずだ。それなのに、あな
た方は自分等の子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を
敢えてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴
史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が
ゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然とし
て見過ごすわけには行かない。誤られた彼等の宣伝の欺瞞を払拭せよ。
誤られた歴史は書き換えなければならない。
★1928年(S3年)秋に日本の満州経営を視察した米モルガン財団代表ラモン
トは、「満州は唯一安定し、日本の満州開発は中国の利益となっている。」と
オールズ国務長官に報告している。またこの年「張作霖」が爆殺されている。
(続く)