ヨーロッパと日本(3)

この事件は明治維新の60年前、ペリー来航の45年前の出来事である。ちなみ

にペリーは、嘉永6年6月3日(1853年7月8日)に黒塗装の軍艦4隻を率いて

浦賀沖に現れている。従って、このイギリス船フェートン号事件ペリー来航の

半世紀も前の起こっていながら、自国の安全を守ると言う危機管理に対して有

効な手が打てていなかったことの証左である。

しかもペリー艦隊は日本に突然現れたわけではなく、来航の前年オランダ政府

に依頼し、長崎のオランダ商館長を通して幕府に連絡していたのである。この

情報に対して江戸幕府はなんら対策を執ることなく、老中間で握りつぶして外交

担当者にも知らせなかったと言うことであった。

http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/bakumatu03.htmによる。)

このフェートン号事件から半世紀の間に、国防に心し日本も軍艦を持ち海外に

目を向けておれば、明治維新を成し遂げた我々日本人である、少し違った歴史

を刻んでいたことであろう。このことは丁度現在の日本と酷似していないかと危

惧する。

アメリカとの同盟関係にただ乗りし、ウォーギルト インホォメーション プログラ

悪霊に取り付かれ自国の防衛に真剣に取り組んでいない。だから金正日

くんだりに人さらいにあってしまうし、靖国神社への参拝もままならない。大東亜

戦争では、日本は歴史上に残る快挙を成し遂げている。東亜から植民地宗主国

の欧米先進国を駆逐し、アジアの諸国を独立に導いているではないか。今の

ままでは、日本の島々を中国やロシアなどの野蛮国に本当に取られてしまいか

ねない。真剣に日本国の防衛を考えるならば、核武装も考慮して、日米同盟を

強化すべきものと考える。非核三原則なんぞのたわごとを言っている様な

国は、日米安保条約があるとは言え、アメリカは真剣に守ってくれないであろう。

さて、話を元に戻そう。

(続く)