14.五箇条の御誓文(1868年4月6日、明治元年3月14日)
第15代将軍徳川慶喜による「大政奉還」(1867.11.19)、岩倉具視らの「王政復
古」のクーデター(1868.1.3)そして明治天皇による「王政復古の大号令」によっ
て新政府へと「御一新」を果たした明治新政府の方針は、天皇親政を基本とし、
欧米列強の諸外国に追いつくための改革を実行してゆくことであった。
その明治政府の基本方針は、
1868年4月6日(明治元年3月14日)の五箇条の御誓文で具体的に明文
化されることになる。欧米列強より遅れた体制から如何に列強と伍する実力を
身につけてゆくか、その考え方を力強く表現している。
そしてその目的を達するための具体策として、「富国強兵」「殖産興業」が広く
叫ばれることになる。
この五箇条の御誓文は、明治元年正月(1868.1.25)、福井藩出身の参与由利公
正が議事の体大意五箇条を起案した。これは坂本龍馬の船中八策に似ている
が、数人の手を経て最終的には総裁局顧問(実質的な初代宰相)の木戸考允
(長州藩士桂小五郎)が、手を加えて最終的に作り上げる。そして議定兼副総
裁の三条実美が表題を「誓」に修正し、木戸による五箇条が「誓文」と呼ばれ、
「五箇条誓文」「五箇条の御誓文」と呼ばれるようになる。
明治元年3月14日(1868年4月6日)、京都御所の正殿である紫宸殿で行
われた 天神地祇(てんじんちぎ)御誓祭と言う儀式によって、天皇によって示
された。
天神とは、天津神(あまつかみ)のことで高天原や高天原からに天降った神々の
総称であり、イザナギや天照大身神や月読みの神、須佐之男の尊などが代表
的な神々である。
地祇とは、国津神(くにつかみ)のことで地に現れた神々の総称とされている。
須佐之男の子孫である大国主神などは国津神とされる。皇族や有力な氏族が
信仰していた神が天津神になり、大和王権によって平定された地域の人々が
信仰していた神が国津神になったものと考えられている。
と言うことだが、ここでは皇室に由来する全ての神々にお誓い申し上げる
儀式と言うことだと、理解する。
(続く)