ちなみに、奉答書とは、群臣が天皇の意思に従うことを表明した文書であり、
Wikipediaによると、公卿と諸侯は総数で544名、その他が288名が署名して
いる。なお当日署名できなかった者は後日署名している。署名者は公卿・諸侯
のほか、天皇に直属する朝臣(あそん、朝廷の臣下のこと)となった旧幕府旗本
のうち千石以上の領地を持つ者も加わっている。
「奉答書」を以下に記す。
『勅意宏遠(広くて遠大)、誠に以って感銘に堪えず。今日の急務、永世の
基礎、この他に出ずべからず。臣等謹んで叡旨(天子の思し召し・お考え)
を奉戴(謹んでいただく)し死を誓い、黽(勤)便従事、冀(願わ)くは以って
宸襟を安んじ奉らん。
慶応四年戊辰三月 総裁名印 公卿諸侯名印 』
「天皇の意志は遠大であり、誠に感銘に耐えない。今日の急務と永世の基礎は、
これに他ならない。われ等臣下は謹んで天皇の意向を承り、死を誓い、勤勉に従
事し、願わくは天皇を安心させよう。」と言う意味である。
木戸孝允や藩士出身の新政府実力者達の署名はない、とWikipediaには記載さ
れているが、彼等がお膳立てをして、明治天皇とご相談をして五箇条の御誓文を
起草し天皇親政を進めたのであるから、その過程でそのことは十分お誓い申し
上げているとの思いであったことであろう。
さて五箇条のご誓文の第一条の「広く会議を興し万機公論に決すべし」の真
意とは、どう解釈すればよいのであろうか。一般的には、単純に現在の民主主
義を連想するのが普通であるが、もう少し深い意味があるようである。
(続く)