ヨーロッパと日本(34)

さて話はベルツに戻そう。

・・・ところが、古いものから新しいものへと移り渡る道を日本人に教える為

招聘された者たちまで、このこと(大躍進の場合、…その生活様式を誤解して受

け入れ、とんでもない間違いが起こりやすいものだ。)に無理解である。一部のも

のは日本の全てをこき下ろし、また別のものは、日本の取り入れる全てを賞賛す

る。我々外国人教師がやるべきことは、日本人に対し助力するだけだなく、助言

することなのだ。

ベルツは、文化人類学的素養を備えていたため、思想・技術の発生した文化的

基盤を考慮して、自国の文化や社会構造に照らしてそれらを移植することの重

要性を言っているのである。そしてこのことを考慮しない外国人教師を鋭く批判し

ている。

不思議なことに、今の日本人は自分自身の過去については何も知りたくないの

だ。それどころか、教養人たちはそれを恥じてさえいる。「いや、何もかも全て野

蛮でした」、「我々には歴史はありません。れわれの歴史は今、始るのです」と言

う日本人さえいる。このような現象は急激な変化に対する反動から来ることは分

かるが、大変不快なものである。日本人達がこのように自国固有の文化を軽視

すれば、かえって外国人の信頼を得ることにはならない。何より、今の日本に必

要なものはまず日本文化の所産の全ての貴重なものを検討し、これを現在と将

来の要求に、殊更ゆっくりと慎重に適応させることなのだ

無条件に西洋の文化を受け入れようとする日本人に対して、外国人教師である

彼が、日本固有の伝統文化の再評価行うべきことを主張しているのである

そして東京大学を退職する際の大学在職25周年記念祝賀会での挨拶では、

また別の視点から日本人批判を行っている。

(続く)