1941年(昭和16年)12月26日、連合艦隊司令長官は、「第二期兵力区分
部署」を発動、蘭印攻略作戦の開始を発令した。いよいよ、英蘭が植民地とする
南方地域の資源、石油、鉄等の獲得に乗り出す。石油資源のない我国は、この
蘭印を占領することが最優先課題であった。当時スマトラ、ジャワ、ボルネオ方
面では年間合計1,120万トンの石油を産出していた。そして日本軍は、上陸部
隊と護衛艦隊のセットで作戦を遂行していた。これに対してこれを阻止する為に
米英蘭豪の各国はABDA連合部隊を編成し、ジャワ島のスラバヤを拠点に活
動していた。
1942年(昭和17年)2月27日、スラバヤ沖海戦が戦われた。
この海戦では日本の駆逐艦隊が英蘭巡洋艦隊と艦隊戦を繰り広げている。
日本駆逐艦隊は蘭駆逐艦「コルテノール」、英駆逐艦「エレクトラ」を撃沈してい
る。そのとき、英駆逐艦「エンカウンター」が「コルテノール」の乗組員115名を救
助してスラバヤに帰投している。このときもこの救助活動を日本の偵察機が視
認していたが、日本海軍は一切妨害しなかったと記載されている。
そして、3月1日午前11時03分、英重巡洋艦「エクゼター」と英駆逐艦「エンカ
ウンター」は、日本海軍のそれぞれ4隻の巡洋艦と駆逐艦隊に発見される。そし
て11時45分砲撃戦が開始された。しかし衆寡敵せず、13時10分過ぎ頃艦長
は「エクゼター」の放棄の旗流信号を挙げる。「エクゼター」の乗組員は次々と海
中に飛び込み、日本艦隊に向って泳ぎ始めたのである。「エクゼター」では常日
頃、「海に飛び込んだら日本艦隊に向って泳げ、彼らはきっと助けてくれ
る。」と士官から言われていたということだった。
「エクゼター」は、13時30分、「電」(いなずま)の魚雷で、『沈みゆく敵艦に敬
礼』の艦内放送による挙手の敬礼に見送られながら、艦尾から沈んでいった。
そしてその乗組員376人は、駆逐艦「電」により救助されている。
そして8,000m東方にいた「エンカウンター」も、日本艦隊の集中砲火により
14時頃に沈没する。
「エンカウンター」乗組員は見渡す限り海また海のの炎天下、重油の海に浸かり
ながら21時間も漂流していた。
(続く)