第5節-→NO.35(靖国神社に参拝しよう)第2章・大東亜共栄圏と大東亜
戦争参照
要旨
(日本は満州・朝鮮で現地人教育に力を入れた。9つの帝国大学中、京城帝大
は6番目と早いし、朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。蒋介石
・何応欽も卒業生である。)
第6節-→NO.35(靖国神社に参拝しよう)第2章・大東亜共栄圏と大東亜
戦争参照
要旨
(朝鮮李王朝のイウン殿下も陸士を卒業し、皇族の梨本宮方子妃殿下をお妃と
している。清朝皇帝であり満州皇帝であった溥儀殿下の弟君には、華族の嵯峨
妃殿下が嫁がれている。)
第7節-→NO.35(靖国神社に参拝しよう)第2章・大東亜共栄圏と大東亜
戦争参照
要旨
(イギリスはインド人へ教育もしなかったし、英王室からお妃を嫁がせることもな
かった。日本は、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の5族共和を唱え現地人を同等に
扱ったのである。)
東亜(アジア)の諸国に対して、日本軍は旧宗主国勢力を排除し、公共投資をし
、治安維持、公衆衛生、教育制度の確立などの諸施策を実施した。なかでも現
地人からなる軍事力の創設と学校教育の拡充、現地語の公用語化や現地人の
政治への高官登用などを行い、現地化を促進し、その結果東亜の諸国は独立
を果たしていったのである。
第8節-→NO.11(日中戦争は中国共産党が惹き起こしたものだ)を参照
のこと。
要旨
(義和団事件講和議定書に基づき居留民保護のため日本は兵を駐屯させて
いた。パリ講和会議で米国の入知恵で中国は対華21箇条の不満を述べるが、
英仏は日本に賛成している。)
1919年(T8年)のパリ講和会議で中国は対華21か条要求に対して不満を述べる
が、この要求は中国側から提起されたものである、と言う説が真実らしい。この
要求は1915年に袁世凱と調印されているが、この時袁世凱は中華民国の初代
大総統になっている。そして、袁世凱は、この対華21か条要求の特権を日本に
承認する代償として、日本に自分が皇帝になることを援助させようとしたのであ
る。
Yahoo!ブログ「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=21%A4%AB%BE%F2%CD%D7%B5%E1&sk=0
外務省調査部偏『孫文全集』中原書房、昭和42年8月20日発行 編集兼発行
人、成瀬恭第2編 講演及談話より抜粋 とのこと。上記URLを参照のこと。
従って、ますますもって日本が中国を侵略したものでもなく、対中融和外交こそ
がわが国の基本方針であったのである。田母神論文では、それは今も昔も変わ
らない、としているが、現在では対中融和外交では日本は貶められ、滅ぼされて
しまう可能性が高いので即刻中止しなければならないものである。
第9節-→NO.35(靖国神社に参拝しよう)第2章・大東亜共栄圏と大東亜
戦争を参照のこと。
要旨
(当時、ルーズベルト政権内にもコミンテルンスパイが300人は居た。ハル・
ノートの作者のハリー・ホワイトは中でも上位のコミンテルンスパイで、大統領
に工作をしていた。)
ハリー・デクスター・ホワイトは、ソ連のスパイとして「Snow作戦(Whiteの名前より)」
に従事していた。彼はそれなりに有能な経済官僚であり、ブレトン・ウッズ協定や
IMFの設立にもかかわっており、そのIMFはホワイトの案に近いものと言う。しか
し同じくソ連のスパイとして活動していたエリザベス・ベントレーやウィタカ・チェン
バースらは、1948年7月の「非米活動委員会」で、ホワイトはソ連スパイだった
ことを証言している。ソ連コミンテルン(共産党国際部)は、日本とアメリカを戦
争状態に陥れることにより、ソ連の背後から日本に攻められることを防ぎ、中国
の毛沢東共産党をして、中国に共産党政権を樹立させることを狙っていた。この
コミンテルンの活動は日本内部にも及び、リヒャルト・ゾルゲや尾崎秀実(ほつ
み)などの共産スパイが活動していた。近衛首相は戦後「近衛上奏文」なるもの
を天皇陛下へ上奏し、「自分は知らず知らずの内に共産分子に操られていた」と
懺悔している。
ベノナ(VENONA)とは、1943年から始り、1980年に終了したソ連の第2次世界
大戦に発信した暗号文を解読するプロジェクトであった。ベノナとはソ連の暗号
の最後のものを言う、とWikipediaに書かれているが、ベノナプロジェクトにより、
戦後まもなく多くのソ連スパイが特定された。ハリー・ホワイトを始め、原爆の情
報をソ連に売った「ローゼンバーグ夫妻」もこの調査でもスパイとして特定されて
いる。ちなみに「フルシチョフ回想録」ではローゼンバーグ夫妻に言及し「情報が
役立った」と記述されている、と言う。
(続く)