日本は侵略国家ではありません。(9)

第12節-→NO.35靖国神社に参拝しよう第2章・大東亜共栄圏と大東亜

戦争を参照のこと。

要旨

(あの大東亜戦争は愚劣な戦争だった、などと言う馬鹿が居るが、人類の歴史

を振り返れば評価は異なってくる。現在でも、国際関係を話し合いで再構築する

ことは非常に困難だ。)

日本はアジアで唯一植民地にならずに近代化を果たした国である。この辺の事

情は前回のブログ「ヨーロッパと日本」をご一読いただければ、お分かりいただ

けるものと思う。そしてコミンテルンの策略により、盧溝橋事件、第2次上海事変

により泥沼の日中戦争へと引き込まれていった。この第3章の冒頭の解説を参

照されたい。

日本はこのようにして「支那事変」を戦わざるを得ないようになるわけであるが、

中国に権益を拡大したい米英とソ連は蔣介石・国民党政府を支援した。それら

の援助は、四つの「援蔣ルート」を経由して行われた。

 1.香港ルートイギリスの租借地香港を経由した援助ルートだが

1938に広州 占領した日本軍により遮断された。

 2.仏印ルートフランスの植民地であったベトナム(仏領インドシナ)のハ

イフォ から昆明へのルートだが1940の日本軍の北部仏印進駐により遮

断された。

 3.ソ連ルートこれも重要なルートであったが、1941独ソ戦の開始と共

に供給が 途絶えた

 4.ビルマルートイギリス領のビルマラングーンから昆明までの鉄道

とトラック による輸送ルートでビルマ公路と呼ばれたが1942日本軍のビル

マ平定により 遮断された。その後イギリス・アメリカは空路による支援を続けた

が、新規の陸上 ルートの建設を始める。

レド公路は、イギリスの植民地インドアッサム州のレドから昆明までの新自

動車 道路を建設し19451に開通させた。

 5.フライングタイガース 1937中華民国(国民党政府)に雇われ

た米陸軍 空軍大尉の「クレア・L・シェンノート」のアドバイスにより蔣介石は、「戦

闘機 100機とそれを操縦する優秀なパイロット100名、地上要員200名」をF・

D・ルーズベルト大統領に要請した。

1940ルーズベルトアメリカ合衆国義勇軍AVGAmericanVolunteerGrou

p)と 軍事顧問団を組織して中国に派遣することを決め1941からP40トマホ

ーク 戦闘機はフライン グタイガースとして援蔣ルートの防衛に当たり、日本軍

と死闘 を繰り広げた。

 6.レンド・リース法ルーズベルト19413武器貸与法Lend-

Lease Acts)に署名し、大量の武器や軍需物資を援蔣ルートを通じて蔣介

石・中華民 国へ援助した。このため日本はこの援蔣ルートを断つべく北部仏

印へ進駐せざる をえなかったのである。

これを契機にアメリカは経済制裁を強化し日米関係が悪化していったことは、

NO.35靖国神社に参拝しよう) に述べられている通りである。

そのため、日本は植民地のなっている東亜の諸国と連携をして共存共栄の

治・経済中心とした国家連合を実現させようと考えたのである。それが大東

亜共栄圏構想であり、そのなかで日本も資源を確保して生存してゆこうとしたの

である。そのためにはまず東亜の諸国の欧米の植民地支配からの開放が必

要であった。それは話し合いなどではとても解決できる物ではなく、植民地の解

放と日本国の存立のために大東亜戦争を始めたのである。

(続く)