【2】オバマ氏の経歴
オバマ氏の未知の領域は、まだある。それは、彼と過激派との関係だと言う。
これを説明する前に今一度彼の生い立ちや経歴をまとめておこう。(以下はWikipediaによる。)
オバマ氏の両親は、ハワイ大学で出会い周囲の反対を押し切って、1961年
2月2日に結婚している。
父バラク・フセイン・オバマSr.は、ケニア・ルオ族の出身のイスラム教徒(ムス
リム)であり、ハワイ大学では経済学を学んでいる。1965年にケニアに帰国し、
政府のエコノミストになっている。
母アン・ダンハム(ダナム)はカンザス州出身の白人で、ハワイ大学では人類学
を学んでいる。そして1961年8月4日にオバマJr.を出産している。
しかし結婚生活は長くは続かず、1964年に2人は離婚する。
イスラム教では、「ムスリムの子はムスリムになる」とされているが、オバマ自
アンは、1965年には人類学者になっている。そして同年アンは、ハワイ大学
でインドネシア人地質学者ロロ・ソエトロ氏と知り合い、再婚する。
1970年に異父妹のマヤ・カッサンドラ・ソエトロが誕生する。
1971年にアンはソエトロと別居しホノルルに帰国するが、オバマ氏は10歳ま
で地元の学校に通ったことになる。この時父親のバラク・オバマSr.はハワイを
訪問し、オバマJr.とあっている。
1977年~1994年まで、アンは人類学者の仕事でインドネシアに滞在する。
この間、オバマ氏はアンの両親、スタンレー・ダンハム氏とマデリンさんに育てら
れる。
1980年にアンとソエトロ氏は離婚する。
1995年アンは卵巣がんで亡くなる。
インドネシアからハワイに戻ったオバマ少年は、1971年ホノルルの名門私立
小中高一貫校の「ブナホウ・スクール」に5年生として編入する。1979年に同
校を卒業し、カルフォルニア州ロスアンゼルスの私立オクシデンタル単科大学
に入学する。
そして2年後、1981年にニューヨーク州のコロンビア大学に編入し、政治学、
特に国際関係論を専攻する。
1983年同校を卒業し、ニューヨークで出版社やNPOに1年間勤務する。
その後イリノイ州シカゴに転居する。
そして1985年に、レーガン大統領の保守主義に反発して、「草の根レベルで
の黒人の変革」を求めるリベラル色の強い団体に加わる。「コミュニティー・オー
ガナイザー」と言う職業で、貧しい黒人層の生活扶助や住宅改善、政治権利の
拡大、そして政治組織作りなどの活動に専念する。(この4行はWiLLによる。)
そして1988年年央にケニアと欧州を旅行し、ケニアでは実父の親類と対面す
る。父は1982年に自動車事故で死亡している。
1988年秋、ハーバード大学のロースクール入学する。1990年2月には
18人の対抗馬を破り、アフリカ系として史上初の「ハーバード・ロー・レビュー」
(USAで最もよく引用される法律学の評論誌と言う、筆者注)の編集長に選出さ
れる。
(続く)