2004年11月には、共和党候補を70%対27%の大差で破り、イリノイ州選出
の連邦議会上院議員に初当選する。アフリカ系上院議員としては、過去に4人
居るが、唯一の現職上院議員となる。
2004年以降、2008年の大統領候補として推す声がイリノイ州議会議員や新
聞などを中心に高まり、2006年10月のNBC・TVのインタビューで「出馬を検
討する」と発言し、2007年1月には連邦選挙委員会に大統領選出馬へ向けた
準備委員会設立届を提出し、事実上の出馬表明をしている。
2007年2月10日には、イリノイ州の州都であるスプリングフィールドで正式
な出馬表明を行っている。
スプリングフィールドは、奴隷を開放したリンカーンが若き日を過ごし、ホワイト
ハウスへの選挙戦を始めたところだ。黒人初の大統領候補としてオバマ氏は白
人にも気を使い、「オバマは本当に黒人なのか」との批判があったため、尊敬
するリンカーンゆかりの地を使うことで、それに対して答えたのであった。
そしてヒラリー・クリントンとの大統領予備選を戦い、2008年8月27日の民主
党の党大会で、民主党の大統領候補者の指名を獲得する。翌8月28日、コロ
ラド州デンバーの「インベスコ・フィールド」アメリカンフットボール競技場にて、
84,000人の聴衆を前に指名受諾演説を行う。
2008月11月4日のアメリカ大統領選挙において、共和党のジョン・マケインを
大差で破り、第44代アメリカ合衆国大統領に当選する。
2008年11月16日、オバマ氏は政権移行準備の為上院議員を辞任する。
後任は、ブラゴジェビッチ・イリノイ州知事(民主党)が指名する。しかしブラゴ
ジェビッチ州知事は後任指名をめぐる汚職事件で逮捕され、1月29日弾劾手続
きで全会一致で罷免されている。オバマ氏側は、「知事や知事側近との不適切
な協議には関与していないし一切の接触はなかった。」との声明を発表している。
と言ったところが、オバマ氏の生い立ちや経歴である。10歳でハワイに戻り編入
した学校では、初めて「クーン(黒人)」と呼ばれ、大喧嘩をしている。その時から
彼は、人種問題で悩み、自分の居所を探し続けたと言う。そしてそのギャップを
埋める為に、シカゴでは、社会奉仕活動などに没頭したものと思う。そして結局
は自分を黒人と認め現実を受け入れることにより、その悩みを解消していったも
のと推測される。そしてそこからの脱却を「変革」と言い、「必ず出来る」と結んだ
のであろう。しかし具体的な変革は見えてはいないが、単純に「ブッシュ体制」
からの変革、と言うことを彼は言っているのであろうと、小生は直感するのであ
る。決して「織田信長」的な革新を言っているのではない。
調整役のしたたかさはあるかも知れないが、革新的な力量は今後のお楽しみ、
と言ったところだと思う。したがって、日米関係についてはなんらめぼしい進展は
なく、反対にそれ故に現状維持ないしは薄れてゆく可能性は否定できない。その
ためにも日本は独自の視点に立って、自国の安全保障体制の構築に注力
する必要があると感ずる。オバマ大統領は、表向きは日米関係重視との言葉
は発するかもしれないし、ヒラリー・クリントンを使って日本懐柔に乗り出すはずで
あるが、それはあくまでも儀礼的なもので、格好だけかもしれないと、小生は危惧
している。
(続く)