そして、1976年7月1日、北ベトナムは南ベトナムを吸収併合し、ベトナム社
会主義共和国を樹立し、南ベトナム共和国は消滅した。そしてサイゴン市はホ
ー・チ・ミン市と改名された。
このことは強い軍事力を持つ国が、結局生き残るという良い事例となった。如
何に国防が大切なことか、を世界に示すこととなる。
実際には、ベトナムでアメリカ軍が戦った相手は、ソビエト連邦、中華人民共和
国と北ベトナムの共産主義勢力であった。(ベトコンはその下部組織としての存
在。)
インドシナは1940年8月よりフランスが宗主国であったが、1945年8月仏印
に進駐していた日本軍が撤退すると、コミンテルンの一員であったホー・チ・ミン
はハノイを首都としてベトナム民主共和国・北ベトナムを成立させた。
しかし宗主国のフランスはこれを認めず、1946年3月に南部にコーチシナ
(交趾支那)共和国を成立させる。そしてその後、フランスは、1949年6月に
はベトナム最後の王朝グエン朝皇帝のバオ・ダイを首班に据え、ベトナム国を
成立させコーチシナを吸収する。しかし翌1950年1月にソ連と中華人民共和
国が北ベトナムを正当政府と認め武器援助を開始する。これに対抗し、アメリカ
とフランスはラオス・カンボジア・ベトナムのインドシナ3国に軍事援助を開始する
事となる。第1次インドシナ戦争が始り、1954年5月のディエンビエンフー
の戦いでフランス軍は惨敗し、ベトナムをはじめとするインドシナ一帯から撤退
する。これにより1954年7月にジュネーブ協定が成立し、ベトナム民主共和
国の独立が承認される。
しかし、冷戦下における共産主義の台頭(ドミノ理論)を恐れたアメリカは、それ
に対抗して、北緯17度でベトナムを南北に分断させ、南にベトナム国を存続さ
せた。そして、1961年11月、ケネディ大統領は、南ベトナムにヘリコプター部
隊と軍事顧問団を派遣し、結局はベトナム戦争、ケサンの戦いへと続くのであ
る。
'09.2.6の産経のNETニュースでは、次のように言っている。
「ベトナム戦争について、米国は介入の正当性を国内外から疑われ、結局、負け
戦に終わり、今では「過ちだった」と言う評価が定着している。その不名誉な戦争
をオバマ氏が、米国の独立や統一、自由を守るために戦われた名誉ある戦争
と同列に論じたのはなぜだったのか。」と批判的な論調だ。
しかし、アメリカがインドシナ半島に軍事介入して10年間 持ちこたえたからこ
そ東南アジア全体の共産主義化が阻止されたのである。オバマ大統領はきっ
とこのことをアメリカ国民や民主と自由主義の国々にも伝えたかったのではな
いか、と推測するのである。そのことは第21節を見ればよく判る。
「Recall that earlier generations faced down fascism and communism not just with missiles and tanks, but with sturdy alliances and enduring convictions. They understood that our power alone cannot protect us, nor does it entitle us to do as weplease. Instead, they knew that our power grows through its prudent use; our security emanates from the justness of our cause, the force of our example, the tempering qualities of humility and restraint.
前の世代は、ファシズムや共産主義と、ミサイルや戦車だけではなく、強固な
同盟と強い信念を持って対じした事を思いだしてほしい。彼らは、我々の力だけ
では我々を守れず、好きに振る舞う資格を得たのではないことも理解していた。
代わりに、慎重に使うことで力が増すことを理解していた。我々の安全は、大義
の正当性や模範を示す力、謙虚さ、自制心からいずるものだ。」
そして、「我々は、この遺産の万人だ。We are the keepers of this legacy.」と次
の第22節へと続くのである。
「We are the keepers of this legacy. Guided by these principles once more, we can meet those new threats that demand even greater effort – even cooperation and understanding between nations. We will begin to responsibly leave Iraq to its people, and forge a hard-earned peace in Afghanistan. With old friends and former foes, we will work tirelessly to lesson the nuclear threat, and roll back the specter of a warming planet.
我々は、この遺産の万人だ。こうした原則にもう一度導かれることで、我々は、一
層の努力や、国家間の一層の協力や理解が求められる新たな脅威に立ち向か
うことが出来る。我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しなが
らもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。古くからの友やかつての敵とと
もに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためたゆまず努力するだろ
う。」
そして、23,24節へと続く。24節は最初に引用した、あの仏教徒を無視して、
共産党一党独裁の国・中国に配慮したと思われる文節である。この第21節
の「ファシズムや共産主義と対峙した」こととこの第22節の「古くからの友や
かつての敵とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためた
ゆまず努力するだろう」とつながり、これはどう解釈すればよいのであろうか。
(続く)