バラク・フセイン・オバマ大統領(17)

そして、1976年7月1日北ベトナムは南ベトナムを吸収併合し、ベトナム

会主義共和国を樹立し、南ベトナム共和国は消滅した。そしてサイゴン市は

ー・チ・ミン市と改名された。

このことは強い軍事力を持つ国が、結局生き残るという良い事例となった。如

何に国防が大切なことか、を世界に示すこととなる。

実際には、ベトナムでアメリカ軍が戦った相手は、ソビエト連邦、中華人民共和

国と北ベトナム共産主義勢力であった。(ベトコンはその下部組織としての存

在。)

インドシナは1940年8月よりフランスが宗主国であったが、1945年8月仏印

進駐していた日本軍が撤退すると、コミンテルンの一員であったホー・チ・ミン

ハノイを首都としてベトナム民主共和国北ベトナムを成立させた。

しかし宗主国のフランスはこれを認めず、1946年3月に南部にコーチシナ

(交支那)共和を成立させる。そしてその後、フランスは、1949年6月

はベトナム最後の王朝グエン朝皇帝のバオ・ダイを首班に据え、ベトナム国

成立させコーチシナを吸収する。しかし翌1950年1月ソ連と中華人民共和

が北ベトナムを正当政府と認め武器援助を開始する。これに対抗し、アメリカ

フランスはラオス・カンボジア・ベトナムインドシナ3国に軍事援助を開始する

事となる。第1次インドシナ戦争が始り、1954年5月ディエンビエンフー

戦いフランス軍は惨敗し、ベトナムをはじめとするインドシナ一帯から撤退

る。これにより1954年7月ジュネーブ協定が成立し、ベトナム民主共和

立が承認される。

しかし、冷戦下における共産主義の台頭ドミノ理論)を恐れたアメリカは、それ

に対抗して、北緯17度でベトナムを南北に分断させ、南にベトナム国を存続さ

せた。そして、1961年11月ケネディ大統領は、南ベトナムにヘリコプター部

隊と軍事顧問団を派遣し、結局はベトナム戦争ケサンの戦いへと続くのであ

る。

'09.2.6の産経のNETニュースでは、次のように言っている。

ベトナム戦争について、米国は介入の正当性を国内外から疑われ、結局、負け

戦に終わり、今では「過ちだった」と言う評価が定着している。その不名誉な戦争

オバマ氏が、米国の独立や統一、自由を守るために戦われた名誉ある戦争

同列に論じたのはなぜだったのか。」と批判的な論調だ。

しかし、アメリカがインドシナ半島に軍事介入して10年間 持ちこたえたからこ

東南アジア全体の共産主義化が阻止されたのである。オバマ大統領はきっ

のことをアメリカ国民や民主と自由主義の国々にも伝えたかったのではな

か、と推測するのである。そのことは第21節を見ればよく判る。

Recall that earlier generations faced down fascism and communism not just with missiles and tanks, but with sturdy alliances and enduring convictions. They understood that our power alone cannot protect us, nor does it entitle us to do as weplease. Instead, they knew that our power grows through its prudent use; our security emanates from the justness of our cause, the force of our example, the tempering qualities of humility and restraint.

前の世代は、ファシズム共産主義、ミサイルや戦車だけではなく、強固な

盟と強い信念を持って対じした事を思いだしてほしい。彼らは、我々の力だけ

は我々を守れず、好きに振る舞う資格を得たのではないことも理解していた。

わりに、慎重に使うことで力が増すことを理解していた。我々の安全は、大義

正当性や模範を示す力、謙虚さ、自制心からいずるものだ

そして、「我々は、この遺産の万人だ。We are the keepers of this legacy.と次

第22節へと続くのである

We are the keepers of this legacy. Guided by these principles once more, we can meet those new threats that demand even greater effort – even cooperation and understanding between nations. We will begin to responsibly leave Iraq to its people, and forge a hard-earned peace in Afghanistan. With old friends and former foes, we will work tirelessly to lesson the nuclear threat, and roll back the specter of a warming planet.

我々は、この遺産の万人だ。こうした原則にもう一度導かれることで、我々は、一

層の努力や、国家間の一層の協力や理解が求められる新たな脅威に立ち向か

うことが出来る。我々は、責任ある形で、イラクイラク国民に委ね、苦労しなが

らもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。古くからの友やかつての敵とと

もに核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためたゆまず努力するだろ

う。

そして、23,24節へと続く。24節は最初に引用した、あの仏教徒を無視して、

共産党一党独裁の国中国に配慮したと思われる文節である。この第21節

の「ファシズム共産主義と対峙した」こととこの第22節の「古くからの友や

かつての敵とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためた

まず努力するだろう」とつながり、これはどう解釈すればよいのであろうか。

(続く)