この言葉を文字通りに受け取ると、空母を否定したともとれる。だが、それは表
面的な受け取り方であり、毛沢東は空母が政治的威嚇力であることを十分に認
識していたばかりか、空母保有の意思を伝えた重要な発言だった。
毛は建国以後の数年間に、朝鮮戦争、インドシナ戦争、蒋介石軍との2回にわ
たる戦争と、何度も米国の核威嚇を受けた。核兵器は、見かけは強そうでも実
際には使えない「張り子の虎」と揶揄(やゆ)していたが、実際は、威嚇して相手
を屈服させる兵器として重要視し、原子力潜水艦を含む核ミサイル開発を決断し
た。
同じ時期に中国は米国の空母による威嚇を何回も受けていた。「空母は陸に
上がってこられない」は、「核兵器は張り子の虎」に通じるのである。
2050年への長期展望
中国の核ミサイル開発は通常戦力の近代化を後回しにして進められた。
1964年10月、東京五輪の開催中に最初の核爆発実験を敢行する。5年半後
の70年4月、人工衛星が打ち上げられ、日本を含む周辺諸国を威嚇できる中
距離弾道ミサイルの開発に成功したことが明らかとなった。さらに80年5月、南
太平洋のフィジー諸島近海に向けて大陸間弾道ミサイルが発射されて、地上発
射弾道ミサイルがひとまず完成した。
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原子力潜水艦の開発には困難があったようで大幅に遅れ、外洋航海訓練に
成功したのは86年12月だった。
中国は現在でも原子力潜水艦を含む核ミサイル戦力の精緻(せいち)化に懸
命になっている。80年代中葉、21世紀を見据えた「国防発展戦略」といわれる
遠大な軍事戦略が提示された。核ミサイル戦力の下で、限定的な、だが水準の
高い通常戦力の現代化が進行している。
それと関連して「海軍発展戦略」が作成され、具体化されている。そのなかで
初めて公式に、航空母艦の保有が明らかにされた。
(続く)