胡錦濤は昨年、「抗議行動への武力鎮圧は極力控える」と全国の公安部門に通
達していた。しかしこの暴動は武力鎮圧しかない、自分しかその指揮は取れ
ないと思って胡錦濤はラクイラ・サミットをおっぽり出して帰ってしまったのか、と
思っていた。
しかし、7月13日の東京新聞にはその反対のことが書かれていた。本当かな、
と思うがそれを紹介しよう。
『今回の暴動で多くの死傷者が出たのは「江沢民前国家主席の勢力が実力行
使で対処し、影響力誇示を図った。」(香港紙・リンゴ日報)ためで、胡主席がサ
ミットから緊急帰国したのは権力闘争が一因だったとの見方もある。
胡指導部は今年、三月のチベット動乱五十年、六月の天安門事件二十年など
の課題を乗り切ってきた。十月の建国六十周年を控えて起こった今回の暴動
は、指導部に新たな試練を突きつけている。』
と言ったものだが、権力闘争も一因だったかもしれないが、そんなことよりも「建
国六十周年」を控えて、徹底的にウイグル族を押さえ込むためには胡錦濤の陣
頭指揮が必要と彼が判断したためではないのかな。なぜかと言うと武力弾圧を
許可できるのは彼しかいないからである。そのため当局の発表では死者の数は
150人程度としているが、実際には千人を超えるとも、三千人に達するとも言
われている。中国はウイグル族を人間とは思っていないからだ。
134,中国 異例の「積極公開」 ウイグル暴動激化 現地で会見、取材ツアー 国際世論誘導か 200907080902
2009年7月8日 09:02 カテゴリー:アジア・世界
【北京7日椛島滋】新疆ウイグル自治区の暴動を受け、中国政府はウルムチ
市のホテルに臨時プレスセンターを設置、異例の積極的な報道対応を行って
いる。昨年3月のチベット暴動や北京五輪時の同自治区でのテロの際は、海外
メディアの取材を厳しく制限したが、今回は現地を公開して「ウイグル族の暴動」
の側面を強調することが、国際世論づくりに得策と判断したとみられる。
6日に設置されたプレスセンターでは、国内外の報道機関向けに記者会見を
開き、入院中の暴動被害者の取材ツアーも実施。7日午前には、約60人の外
国人記者を対象に手配した取材先で、ウイグル族の住民数百人のデモ隊が武
装警察部隊と小競り合いになる事態も起きた。
現地関係者によると、同センター以外ではインターネットや携帯電話がつなが
りにくく、取材制限も受けている。当局者は現地の会見で「通信の制限は暴動再
発に向けた動きを止めるためで、取材制限は記者の安全を守るため」と理解を
求めたという。
現地での取材対応について、中国外務省の秦剛副報道局長は7日の定例会
見で「海外メディアに事件を公正かつ客観的に伝えてもらいたい」と強調した。
しかし、世界の亡命ウイグル人組織を束ねる「世界ウイグル会議」が暴動を扇動
したと断定した証拠や、暴動の死者のうちウイグル族が何人いるか、などの質
問にはあいまいな回答に終始した。
=2009/07/08付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/107342
そのために、日本人を含む外国人記者を相次ぎ拘束して真実の報道を制限しだ
した。7/10の午後3時50分ごろ拘束され、約8時間後の7/10から7/11に変わる
ころに開放されている。しかし彼らが記録した映像には、武装警察がウイグル族
を塀に並べて、殴ったり蹴飛ばしたりしている映像が、きわめて鮮明に残ってい
た。
136,【ウイグル暴動】邦人記者ら相次ぎ拘束 ウルムチ 200907110111
2009.7.11 01:11
中国新疆ウイグル自治区ウルムチ市内で10日、ウイグル族と警察と小競り合
いを取材していたテレビ東京北京支局の小林史憲記者(37)が公安当局に身柄
を拘束された。スペイン人、オランダ人の記者も同時に拘束された。
関係者によると、小林記者が取材していたところ、警察官に「撮影しないよう
に」と要求されたが、取材を続けていて拘束された。小林記者は腕をねじあげ
られ、両脇をかかえられて連行された。10日夜の時点で少なくとも7時間以上、
拘束状態が続いており、取材映像を「見せるように」と言われているという。3人
の記者はひとりずつ小部屋で質問を受けたもようだ。
一方、大規模暴動が起きたカシュガルでも10日、欧州メディアと共同通信など
複数の外国人記者が宿泊するホテルの部屋に地元公安当局者らが早朝から
訪れ、「取材は一切認められない。すぐに立ち去れ。地元には地元の政策が
ある」と命令、同日夜、ウルムチに強制的に帰らされた。(ウルムチ 野口東秀)
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090711/chn0907110112000-n1.htm
(続く)