尖閣諸島問題(123)

空母も核も無い時の毛沢東は、「艦隊は陸には上がってはこられない。核兵

器は見掛けは強そうだが、実際には使えない”張り子の虎だ”」とやせ我慢を

言ってはいたが、その二つとも極めて有効な政治的威嚇手段であることは、早

くから十分認識していた。そのために「一皿のスープを皆で啜りあっても、ズボ

ンをはかな
くても、原爆を造る」とのスローガンを掲げて、人民の生活や幸せを

犠牲にしてまで、自力で原子力潜水艦を含む核ミサイル兵器の開発を続けた

のである。


核兵器開発を優先する間、人民解放軍の近代化は当然後回しとなった。そし

核兵器が完成するまでの期間の自国の防衛は、「人民戦争戦略」と言う手

法で確保することとしたのである。
               


人民戦争戦略
とは、たとえば中国の核施設を破壊するために陸上部隊が送

り込まれた場合には、中国人民をも巻き込んで侵攻してくる敵を「人民の大海

に埋葬する」
と言うものであり、ゲリラあり、スパイあり、裏切りあり、テロあり、

何でもありの泥沼の戦争を仕掛けると言うものであり、日本も中国ではこの戦

いに巻き込まれて勝つことが出来なかった。この戦いはソ連コミンテルン

(1919/3共産党国際部コムニスチーチェスキィ・インテルナツィオナールの略

称、
CommunistInternational)が世界を共産化するために、資本主義国に侵

入して混乱させ共産革命を起こさせるために広めた手法であり、「内戦を引き

起こし政情を混乱させ、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること」と言う

政治綱領そのものであった。


日中戦争と言われるものは、中共軍が日本の中国における権益を侵し日本軍

を混乱に陥れ、ひいては日本国内をも混乱させ日本にプロレタリア革命を惹

起させ、共産化させるための中国共産党(中国コミンテルン)の指令の下に

遂行された戦争である。そして中国では、蒋介石国民党と毛沢東共産党との

内戦があり、日本軍はその争いに意図的に巻き込まれてしまったものである。

当然日本はチンタオや上海、満州に国際的に認められた権益を持っていた

が、そこを中国コミンテルンが意図的に攻撃したため、日本はその攻撃から身

を守るための自衛戦争を遂行せざるを得ない状況に巻き込まれ、中共の「人

民戦争戦略」にまんまとはまってしまったのである。


この事は小林英夫氏の「日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ」(講談社現代新書

にも詳しい。機会があったら紹介しよう。要は、中国共産党軍の寄せては返し、

返しては寄せるゲリラ戦的消耗戦に対して、一戦撃滅の敵基地の壊滅を狙っ

た短期決戦で臨んだために、効果的な被害を与えることが出来ずにずるずる

と消耗していったと言うこと。


またこの間の事情は、小生のブログ、'07.7.4~日中戦争中国共産党が引

き起こしたものだ」
を参照されたい。そして中国は、通州事件(S12)や済南事

件(S3)、南京事件(S2)
などを引き起こし、日本人居留地に侵入し数百人と言う

在留邦人を暴行し、略奪し、虐殺している。中国はありもしない「南京大虐殺

念館」なんぞを作っているが、日本政府は中国人による在留邦人 大虐殺通州

(済南、南京)記念館などを開設し、世界に中国の残虐性を示さなければなら

ない。多分チベットでもウイグルでも、このように中国人により大量に虐殺され

たのであろう。この間の事情も、小生のブログ、'08.2.15の「中国・虚妄のプロ

パガンダno.4/8」
を参照願う。


米国もソ連も中国の核施設を破壊したかったのだが、この日本軍の引き込ま

れた泥沼の戦争を熟知していた米ソは、それが出来なかったのである。そして

中国は最先端の核戦略を、最も時代遅れの人民戦争戦略との「二本足軍事

路線」
で押し進め、到々1964年10月東京オリンピックの最中に最初の


爆発実験
を行ったのである。そしてそれから毎年一、二回の核実験を行い、

着実に小型化を図り弾頭化を進めていった。更に、1970年4月には中国初

人工衛星の打ち上げに成功したのである。このことは日本を含む中国周辺

国を攻撃できるミサイルが完成していることを示すものであった。


そしてそれから10年後の1980年5月には、南太平洋のフィジー諸島近海へ

大陸間弾道弾ICBMの発射実験にも成功したのである。


中国の核実験は、すべて新疆ウイグル自治区楼蘭遺跡周辺で行われ、な

んら安全対策を施すことなくしかも管理区域すら設けない状態での核爆発実

験であった。しかも地下でもなく地表で、更に核爆発威力を抑えることなくメガ

トン級の実験を行ったのである。ウイグルと国境を接するカザフスタンのセミパ

ラチンスクでのソ連の核実験は、四国ほどの広大な面積の土地から人々を外

に移住させ、周囲を鉄線で囲み更に核の砂の舞い落ちると想定される風下の

人々も移住させている。そして0.4メガトンに爆発威力も抑えていた。それに

もかかわらずカザフスタンの人々は核放射線被爆の被害を受け、その治療に

多くの人たちが悩んでいるのが現状である。中国はウイグル人が受けた核被

爆の災害を一切公表していないし、周辺で核実験の行われた楼蘭遺跡を世

界遺産申請すると言う。当時既に多くの日本人(27万人)もその楼蘭遺跡を観

光していたと言うが、もっての外である。


              

78.3,中国核実験で19万人急死、被害は129万人に 札幌医科大教授

が推計
200904301903

2009.4.30 19:03 このニュースのトピックス:中国

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 中国が新疆ウイグル自治区で実施した核実験による被害で同自治区のウイ

グル人ら19万人が急死したほか、急性の放射線障害など甚大な影響を受け

た被害者は129万人に達するとの調査結果が札幌医科大学の高田純教授

(核防護学)によってまとめられた。被害はシルクロード周辺を訪れた日本人

観光客27万人にも及んでいる恐れがある。


 5月1日発売の月刊「正論」6月号掲載の「中国共産党が放置するシルクロー

ド核ハザードの恐怖」と題する論文で明らかにした。


 高田教授は2002年8月以降、中国の核実験に伴う影響を調査した。高田

教授によると、中国の核実験は1996年までに爆発回数で46回。爆発威力

放射線量、気象データや人口密度などをもとに被害を推定した。


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 爆発では楼蘭遺跡の近くで実施された3回のメガトン級の核爆発で高エネル

ギーのガンマ線ベータ線アルファ線などを放射する「核の砂」が大量に発

生した。上空に舞い、風下に流れた「核の砂」は東京都の136倍に相当する

広範囲に降り、その影響で周辺に居住するウイグル人らの急性死亡は19万

人にのぼる。甚大な健康被害を伴う急性症は129万人のうち、死産や奇形な

どの胎児への影響が3万5000人以上、白血病が3700人以上、甲状腺がん

は1万3000人以上に達するという。中国の核実験は、核防護策がずさんで、

被災したウイグル人に対する十分な医療的なケアも施されておらず、129万

人のうち多くが死亡したとみられる。


 広島に投下された原爆被害の4倍を超える規模という。高田教授は「他の地

域でこれまで起きた核災害の研究結果と現実の被害はほぼ合致している。今

回もほぼ実態を反映していると考えており、人道的にもこれほどひどい例はな

い。中国政府の情報の隠蔽(いんぺい)も加え国家犯罪にほかならない」と批

判している。


 また、1964年から1996年までの間に、シルクロードを訪問した日本人27

万人の中には核爆発地点のごく近くや「核の砂」の汚染地域に足を踏み入れ

た恐れがあり、こうした日本人への影響調査が必要と指摘している。


http://sankei.jp.msn.com/world/china/090430/chn0904301904007-n1.htm

(続く)