国慶節に思う。(14)

この小生のブログ、2009年10月21日国慶節に思う。(6)」には、日本

の省エネ状況の数値データがある。如何に日本が省エネであるが、今一度確

認して欲しい。更にその前日の10月20日国慶節に思う。(5)」には、

2006年のCO2の国別の排出量の一覧表がある。それによるとアメリカは地球

全体の21.1%、中国は20.6%ものCO2を排出しているのであり、その中国は

2007年には8%も排出量が上昇しているのである。アメリカは変わらずのた

め、2007年は中国が世界で最大のCO2排出国となったのである。日本の効

率的な排出量の少なさの数字を見て、更に日本の排出量の世界に占める割合

がたったの4.5%であることを見れば、日本は京都議定書から抜けても良かった

のであり、ポスト京都議定書からも抜けても良いのである。ご承知だとは思う

が、京都議定書からは、米国、カナダ、オーストラリアは、当の昔に離脱してい

る。結果として日本は、EUにうまく丸め込まれたと言っても良い事態なのであ

る。COP15では、日本は堂々と離脱を宣言すればよい。理由は明白であ

る、「お前らも早く日本のレベルまで効率を上げよ。日本が参加するのはそ

れからだ。」
と言えばよいのである。言っておくがEUは、東欧諸国も含む15カ

国の排出量の平均値が用いられているのである。現在はEUは27カ国となって

おり、COPではその平均値を取ってよいことになっている。これは相当EUに有

利に働くことを意味する。日本はEUとまともに対抗する必要はない。

ここら辺の事情は次の論文を参照願いたい。かなり長いものであるが、ご一読

願う。

まともな議定書の作り方 ― 京都議定書の失敗を繰り返すな 200301010000
http://www.climate-experts.info/Sugiyama_11.html


要約

      
米国,オーストラリア,カナダが離脱し,京都議定書は 日本・欧州・ロシアしか参

加しない失敗作になった 【松尾註: 結局,カナダは 100 番目の国として,京都

議定書に批准した】.この根本原因は,1990 年を基準年として数値目標を設定

する 欧州にのみ都合がよい骨組みにある.なぜそうなったのか.悪意でも陰

謀でもなく,欧州内の狭い範囲で議論をした結果である.これから同じ過ちを繰

り返さないためには,どうすればよいか.政府交渉に先だち,「複線交渉」なる国

際共同作業によって,議定書の骨組みを 幅広く研究する必要がある.
 


本文

         
京都議定書は惨憺たるものになってしまった.
厳しい数値目標を被っている

のは,事実上,日本だけ
である.アメリカは離脱した.欧州の数値目標は緩

い.ロシアの排出枠は余っている.


京都議定書と同じ過ちを繰り返さないために,これからの温暖化防止の国際制

度のあり方はどのようにしたらよいか,先月号迄で 詳しく議論をした.


今月は,どのような制度であれ,より適切な制度に落ち着くための望ましい「手

段」のあり方に焦点を絞る.先月号までは,「どのような」制度にすべきか を 論じ

たわけであるが,今月は,「どのように」すれば よりよい制度が実現できるか を

考える.


なぜ 1990 年が基準年になったのか

まずは,京都議定書の悪しき結果が,どのようにしてもたらされたかを考えよう.

たとえば,上述の,「日本だけに厳しい」という片務性は,どのようにして生まれ

てきたか.


片務性の起源は,1990 年を基準にして 排出削減量のパーセンテージを約束す

るという,京都議定書の枠組み そのものにある.欧州では,1989 年から東欧の

経済崩壊があり,また 天然ガスへの転換があるために,偶然 1990 年ごろが

排出量のピークになった.このため,これを基準年にすると,非常に都合よく,

数値目標を「見かけ上野心的に」設定できた.

それでは 一体,どのようにして,この我田引水的な枠組みが実現されたのか.


もともと,基準となる年次を決めて そこからの排出削減量を論じるというやり方

は,多くの環境条約で行われてきた.特に 欧州においては,酸性雨条約の下,

多くの議定書があり,それらの議定書では すべてこのような「目標年と数値目

標方式」 (Target and Time Table という) で目標設定してきた.


このため,京都会議準備会合などの場で 議定書に関する議論が始まった時に,

この 基準年と数値目標が 真っ先に俎上になったのは,自然な成り行きである.


そして,欧州内部で議論をしている限りにおいては,基準年の選択として,1990

年に落ち着く以外には ありえなかった.なぜならば,彼らの内部調整において

は,これが 数値目標の見かけ上の野心性が表れる 唯一の選択であったから

だ.


そして,京都会議においても,欧州は,1990 年を基準とするという点について

は,頑として譲らなかった.これが欧州にとって 死活的に重要な点であることを

熟知していたからである.


欧州の狭い議論が破綻した

かかるプロセスの結果として出来た,欧州に都合のよい枠組みについて,これを

「欧州の陰謀である」といった言い方をする人がいる.しかし,これは実のところ,

全く陰謀などではない.単に 彼らが自分たちの中だけで議論したときに,そこに

議論が落ち着かざるを得なかった,という実態の表れにすぎない.


問題なのは,このようにして欧州の中だけでした議論は,世界的な普遍性を持ち

得ない ということである.結局 この 1990 年という基準年設定が 仇となって,京

都議定書は破綻した.米国は,京都会議の時点においては,クリントン政権

あったことから,見かけ上 野心的な数値目標に参加することに 意欲的であっ

た.このタイミングで 京都会議があったために,米国も数値目標を 野心的に設

定したわけであるが,これは そもそも無理難題であった.このことが,後に 米国

京都議定書から 離脱する理由になったし,これに引き続いて カナダなどの

国々が結局は離脱してしまい,欧州以外では,日本が残るのみとなった.


「欧州の陰謀」が 仮にあったなら,それは ずいぶんお粗末な結果を 迎えてし

まったといえる.実際のところは,陰謀などは不可能である.京都議定書のよう

な 複雑な国際交渉において,一部の人が全体を見回し,陰謀を巡らし,それを

実現するなどということは できない.それでも陰謀説を唱える人がいれば,その

陰謀というのは どこで生まれて誰が実施しているのか,と聞いてみればよい.

答えられる人は誰もいない.陰謀と言って片付けて,分析を放棄するのでは,

コトは改善しない.


問題は,欧州内部の議論が,欧州の中だけで収束してしまい,それが欧州外部

にとって 実施可能な枠組みにならなかったことだ.「それではうまくいかない,


れでは 世界的なシステムはうまく構築できない
」ということを言って 説得して

あげる人がいればよかった.


欧州は環境にやさしいか?

京都議定書交渉において,欧州連合は,環境にやさしいイメージをうまく形作っ

た.しかし,これは「1990 年基準で排出削減量を決める」という,その土俵の設

定の枠内でしか 通用しない.



そして,これは,たまたま自分たちにとって都合がよく,あまり努力しなくても

達成できるもの
になっている.


土俵の設定次第では,日本は欧州に比べて全く遜色がない.例えば,一人当た

り CO2 排出量ということであれば,日本は欧州と同水準である.また,あらゆる

エネルギー利用効率において,日本は欧州にひけをとらない.


日本も,欧州に負けずに,交渉の早い段階で,自分のほうが優れている点は見

つけて,うまく世論をバックにしていく必要があったが,これができなかったこと

が 間違いのもとだった.

先ごろ開催されたヨハネスブルク環境・開発サミットにおいても,欧州連合は 再

生可能エネルギーを「世界の全エネルギーの 15% にする」,「先進国はシェア

を 2% 増やす」といった 数値目標を掲げていた.結局 これは 他の国々からの

猛反対で立ち消えになったが,これとて,欧州は,たまたま自分たちにとって 実

現可能なものを とりたてて言ったものだろう.


非常に環境に優しいようなイメージを与えるけれども,実際はそんなことはない.

ただ,あまりにもプロパガンダがうまいので,欧州は環境に優しい というイメー

ジが うまく刷り込まれてしまう.
(続く)