小沢資金問題(9)

しかしここにひとつの疑問が残る。なぜ小沢(石川が担当したのだが)は、4億円の現金の

支払いを2004年10月29日の午前中に実施したのか。融資を受けたのはその日の午後

だった。支払いも午後で融資を受けた後に実施しておけば、「融資で支払った」との言い訳

が、物理的に成り立つことになる。不動産会社への支払いは、多分午前でも午後でもどち

らでもよかった筈である。なぜ支払い時期と融資時期が半日もずれたのであろうか。


これも小生は次のように推理する。

小沢はこの手の手法で、今までも、ゼネコンなどからの裏金を表の金に(頻繁に)していた

のではないか、と思われる。そして何の問題もなかった。だから、そこらあたりの時間の違

いには、頓着しなかったのであろう。事実、小沢の妻の和子も昔から同じような手法を使っ

ていた、と思われる。


次の記事を参照願う。

      

e現代ビジネス
永田町ディープスロート 知られざる「ゼネコン妻」和子夫人の正体 解剖 小沢一郎 第2弾〔取材・文 松田賢弥

2010年02月05日(土) FRIDAY

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「満ん賀ん」のN子さんと。自身の誕生祝いで久々に再会した('04年) 〔PHOTO〕堀田 喬

「お前、どういうつもりだ」

 低くくぐもった怒声の主は、民主党幹事長・小沢一郎(67)であった。怒りを向けた相手は、

寵愛する総務相原口一博(50)だ。何のことはない、1月に入って原口が自分が所属す

る財務副大臣野田佳彦グループの勉強会に顔を出そうとしただけだ。だが、野田は小沢

とは一線を画す。蟻の反乱をも許さぬ小沢の性格を知ればこそ、原口は参加を断念した。

 1月23日、多くの報道陣が東京・千代田区のホテルニューオータニを取り囲んだ。この一

室で政権与党の現職幹事長が東京地検特捜部事情聴取を受けたのだ。しかも事件の

参考人としてではない。被疑者として、である。だが、前代未聞の事態を引き起こした当事

者は、冒頭のとおり党内の支配体制を緩めようとはしない。


 小沢は淡々と事情聴取に応じたようだ。小沢案件の主任を務める木村匡良(ただよし)

検事が黙秘権について説明すると、目を閉じたままうなずき、当初こそ緊張した様子で唇

を潤そうと幾度もコップを口に運んだ。だが、東京・世田谷の土地購入に充(あ)てた疑惑の

4億円について、父・小沢佐重喜(さえき)(元建設相)遺産を投資信託で膨らませた

カネ
だと説明。収支報告書の記載については、逮捕された元秘書で衆院議員石川知裕

(36)や元私設秘書の池田光智(32)らを名指しし、「実務について任せていた」との釈明に

終始した。


 聴取後の夜、小沢は世田谷区にある居酒屋「ひもの屋」に入り、側近たちと一杯やった。

メディアを意識してのことだろう。店から出ると記者からの質問を無視しつつも、酔って上機

嫌だとばかり千鳥足で車に乗り込んで帰途に着いた。


 だが、間違いなく潮目は変わった鳩山由紀夫首相(62)が「戦ってください」との“お墨

付き”まで与えたvs.検察の構図であったが、聴取の翌々日、民主党本部で会見に臨んだ

小沢は、いっさい捜査に対して批判めいた発言はしなかった。ここにきて小沢がトーンを落

とした理由。それは和子夫人の存在が大きい。


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和子(左)は選挙の応援日程が意に沿わないと、後援会を叱りつけた 〔PHOTO〕堀田 喬

「当初、メディアは特捜部が和子夫人の事情聴取を行うかのように報じました。だが特捜部

は小沢への事情聴取で、夫人の処遇について触れもしなかった。何を意味するのか。特捜

部は夫人というカードを利用し、小沢の態度次第では夫人を捜査網に入れる、少なくとも事

情聴取はさせてもらうというブラフをかけたのです。現段階で検察は、和子夫人を呼び出す

意思はないでしょう」(検察関係者)


 小沢にとっての和子―――。小沢は、こんな具合に周囲に触れ回ることがある。

「1カ月に一度は女房と飯を食うことにしているんだ」

 だが、その言葉を額面通りに受け取る者は少ない。古くから小沢を知る自民党関係者は、

こんな言い方をした。


「不仲だよ、あそこは。別居しているという話さえある。小沢邸に上がってみればいい。まる

で家庭の臭いがしないんだ」


 だが、小沢が和子への聴取を避けたがる理由は別にある。決して和子の身を案じての

行動ではなかろう。実は和子もまた、あの世田谷の小沢邸にカネをうならせたキーパー

ソン
なのだから―――。

  
 小沢が和子と見合い結婚をしたのは、'73年10月、当選2期目の時のことだ。和子は、新

潟市に本社を構える中堅ゼネコン「福田組」の社長(当時・後に会長)・福田正(故人)の長

女であった。広く知られることだが福田正は、田中角栄の後援会「越山会」の最高幹部であ

る。角栄が一気に権力の階段を昇るのと時を同じくして、角栄の地元にある福田組も急成

長した。典型的な政治銘柄の企業である。


 小沢と和子の仲を取り持ったのは角栄である。だが、当時の小沢には、別に親密な女性

がいた。東京・赤坂にあった老舗料亭「満ん賀ん」の若女将・N子さんである。背が高く細身

の彼女は、店の信頼も厚く帳場を任せられていた。そして勝ち気だった。角栄が贔屓(ひ

いき)にしたこの料亭は、政治の舞台でもあり、小沢が店に通い詰めたのも自然の成り行

きであった。


 かつて、この料亭のオーナーは私に、小沢と彼女の縁談をまとめようと、角栄に掛け合っ

たことがあったと明かした。角栄は首を縦に振らなかったという。


「一郎だけは困る。俺の立場がなくなる」

 27歳で当選した自民党の若きエースを寵愛した角栄にすれば、有力後援者の娘を身内

同然にする政略結婚を、何が何でも成就させたい。こうして小沢は和子を選び、挙式では

角栄が小沢の亡き父の代わりを務めた。ちなみに、和子の妹・雅子竹下登元首相の実

弟で衆院議員竹下亘に嫁いでいる。


 結婚すると小沢は、和子を地元・岩手県水沢市(現・奥州市)の母・みちの元に住まわせ、

別居した。みちは、夫の佐重喜の票を取りまとめた女傑でもある。当時、小沢は酒席でこう

発言した。


「俺は女房をお袋のもとで飼育しているんだ。お袋は選挙のプロだ。俺は人間をつくってい

るんだ」


 だが、地元を歩いてみると、和子の影は薄い。後援会幹部と連れ立って選挙区を巡り、

やや腰をかがめて「小沢を助けてください」と慇懃に振る舞う様子ばかり伝え聞く。和子の

本音に触れたと感じた人間には、とうとう出会わなかった。


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小沢関連の不動産物件を視察。自民党後藤田正純(右)と菅原一秀 〔PHOTO〕堀田 喬

 地味な女―――。和子につきまとう共通した評価であるが、私の取材から浮かび上がっ

た像は違った。


「あの子は、いつも電話であんな応対しかできないの! 何をとんちんかんなことやってん

のよ!」


 東京・世田谷の小沢邸に和子がいれば、怒声が響き渡る。そこでは、書生が早朝から真

夜中まで食事作り、犬の散歩と日常の雑事全般をこなす。後援会幹部に聞けば、書生ばか

りか秘書の間でも「奥さん」は怖れられる存在だという。


(Photo)
会見を終えて。検察、マスコミ批判はなりを潜めた(1月25日) 〔PHOTO〕鬼怒川 毅

 そして和子もまた、亭主と同じく権力とカネの集中する女であった。


 小沢邸にほど近い世田谷区深沢6丁目に2階建ての秘書邸が二棟建っている。疑

惑の4億円で購入した土地に建てた秘書邸とは別の建物だ。和子がその土地を取得

したのが'95年5月。さくら銀行(現・三井住友銀行)が2億3500万円の抵当権を設定

した。だが驚くべきことに、和子は2億円超の借金を'99年5月に弁済している。たった

4年で返済できるのなら、なぜ銀行から借り入れたのか。手数料や利息を考えれば

不可解だ。


 和子は、前述の借金を返して間もなく、今度は深沢にある小沢邸の敷地内に2階建

ての別棟を建てた。不動産登記上、敷地の6割を小沢が、残りの半分近くを和子が

購入し、夫婦が別々の邸宅を所有していることが分かる。大和銀行(現・りそな銀行

は3億5000万円の抵当権を設定したが、それも'07年3月に完済。つまり和子は、'95

~'07年の12年間に
6億円近い借金をして高額な不動産を手に入れ、その借金をあっ

さり返したわけだ。


 
この巨額の資金はどこから来たのか。和子は、福田組の発行済み株式の3.03%に

あたる136万3000株を持つ8番目の大株主だ('09年6月末時点)。現在、1株170円前

後だから2億円以上の資金だが、売却すればの話である。政治家の嫁とはいえ、一

主婦としてみれば異常な額の不動産取引を行った和子。若き日の小沢は、和子との

将来に何を描いたのか。


 N子さんは「満ん賀ん」が店を畳んだ後、都内で料亭を経営していた。政権交代により小

沢が事実上の最高権力者として振る舞うのを喜ぶ前に、N子さんは店を閉じている。


取材・文:松田賢弥(ジャーナリスト)
まつだ・けんや 1954年、岩手県生まれ。業界誌記者を経てジャーナリストに。『週刊現代

を中心に政界の暗部を描く。主な著書に『無情の宰相 小泉純一郎』、『小沢一郎 虚飾の支

配者』(いずれも講談社刊)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/183

(続く)