番外編・プリウス急加速問題(31)

p56.5UPDATE2:トヨタ創業家と歴代社長との深まる反目―リコール問題で激化
2010年 4月 14日  13:33 JST

 【豊田(愛知県)】トヨタ自動車の品質危機が、長年社内にくすぶっていた派閥

抗争を顕在化させ、なおかつ悪化させている。創業一族の豊田家と非創 業家メ

ンバーのマネジャーらが、トヨタが抱える問題をめぐって非難の応酬を続けてい

るのだ。


 舞台裏の小競り合いは、特にこの数週間で激し さを増している。創業者の孫、

豊田章男社長(53)は、創業家出身でない幹部の一人を排除しようとした。トヨ

タの前社長で現在は副会長の渡辺捷昭だ。

(Photo)Bloomberg news
第1回目の「グローバル品質特別委員会」であいさつをするトヨタ自動車の豊田社長(中央)(3月、トヨタ本社)

 今年1月の最初の大規模リコールからほどなくして、豊田氏は仲介者を通じて

渡辺氏に対し、トヨタ本体からの離職と系列会社の経営を打診した。豊田氏から

この人事を 聞いたとする、ある幹部が明らかにしたものだ。渡辺氏はこの打診

を拒んだ。


 かつて報じられたことのないこうした動きは、継続中の危機を きっかけに、長く

抑え込まれてきた分裂が、今や表面化しつつあることを示す劇的な一例だ。トヨ

タの75年の歴史で前例のない危機からの立て直しに幹部があえぐなか、内部

抗争が経営分裂を招きつつある


 豊田氏と側近は、高い成長率や厚いマージンと引き換えに品質を犠牲にした

非創業家メンバーの社長らによって弱体化した企業を同氏は引き継いだ、と公

言している。


 豊田氏は3月、北京での記者会見で、一部の関係者が利益を過度に重視

た結果、問題は発生したと指摘。社外の「過大な評価」を集め、「会社の中の一

部には(中略)褒められすぎて収益中心に考えた者がいた」と説明した。ただ、

誤りの最終的な責任は自身にあると認めた。


 その1週間前、米国トヨタのかつての重役で、現在は競合他社に移っている

ム・プレス氏
は 「創業家に対して反発する金儲け主義の人々によって、会

社が数年前に乗っ取られたことに問題の根本的な原因がある
」との声明を

出した。その上で、プレス氏はこれら幹部は「顧客第一主義を維持する姿勢を持

ち合わせていなかったが、豊田氏は違う」とした。


 トヨタの広報担当者は内部対立についてコ メントを控えるとし「人事異動は正

式決定まで話すことはない」と述べた。担当者は、豊田氏とプレス氏の発言につ

いてもコメントせず、渡辺氏の発言を求める要請を拒んだ。

(Photo)トヨタ自動車によるリコール台数の推移

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 非創業家メンバーのマネジャーらは独自のキャンペーンを展開しており、トヨタ

が米ゼネラル・モーターズ(GM)を抜き去り世界最大の自動車メーカーになった

ことを賞賛された時期、成長率を重視する戦略をめぐり豊田氏が直接反論する

ことは無かった
、としている。


  これらのマネジャーは、トヨタが現在、直面する問題は、品質危機というよりむ

しろ豊田氏の経営手腕と広報活動に関連する危機であり、そこには豊田氏は世

界企業のトップに立つ準備ができていない
、とのマネジャーらの長年の主張

が反映されている、と指摘する。


 渡辺氏の側近の一人は、創業家のメンバーの言動について、「だいぶ前から

あんなものの言い方はみっともないぞ、と(周りには)言っている」と語り、「これは

世襲批判をかわすためにやっているのか。あるいは自分の存在感を出して正当

化したいのか」と語気を強めた。


 さらに、「これだけグローバルに人員をかかえるとトヨタは社会の公器」だとし、

「そうなったときにものすごく 大切な仕事は利益出して、税金を納めることでしょ

う。それができないで、なにを言っても社会の責任を果たさない。だから、きちっ

と利益を出して、世界各国で税金を納めている。そのこと自体を批判するという

ことはまったくナンセンスだと思う」と語った。


 1995年から99年まで社長を務めた非創業家メンバーの奥田碩相談役(77)

は、トヨタ車の急加速に関する問題が深刻化して以来、同僚2人に対し、「章男

は辞めるべき
」と述べ ている。昨年、取締役から外れた奥田氏は、現在でも長

老格として影響力を誇っている。トヨタは奥田氏のコメントを求める本紙の要請

を拒んだ。


  トヨタ関連の著作の多い東京大学藤本隆宏教授(専門は技術・生産管理)

は、問題を公に指摘することはトヨタ式「カイゼン」の特徴、としながらも、名指し

の非難や、攻撃の対象が容易に特定できる非難は極めて異例、と指摘している。


 内部抗争のルーツは、章男氏の叔父の豊田達郎氏が病気療養のために社長

を辞任した95年にさかのぼる。社長職が創業家の手を離れたのは、創立者の

豊田喜一郎氏の従兄弟である豊田英二氏が67年に社長に就任した後では初

めての ことだ。トヨタは95年まで市場シェアを減らし、1950年以来の赤字計上の

危機に直面していた。 日本経済の低迷に加え、米国との貿易摩擦、円高などが

トヨタの経営を圧迫していた。


 95年以降、奥田氏を筆頭に複数非創業家メンバーが社長に就任した。そ

れは09年に退任した渡辺氏まで続いた。この間、トヨタの財務は改善し、世界で

最も尊敬され、かつ研究される企業への変貌を遂げつつあった。


 奥田氏から渡辺氏に至るトヨタの戦略は、創業家出身の社長らが始めたグロ

ーバリゼーションの努力を新たなレベルにまで引き上げること だった。トヨタ

80年代に米国やそのほかの国で工場を建設し始めたが、依然として日本に焦

点を当てた企業とみなされていた。


 奥田氏96年、「2005年ビジョン」と銘打った向こう10年間の戦略を発表した。

トヨタはこの中で、輸出への依存度を低下させるとともに、アルゼンチン、タイ、

米国などをターゲットとする各市場での現地生産への依存度を引き上げ、急速

な拡大を目指す方針を示した


 「2005年ビジョン」の下で、効率的な資源配分を目指す「グローバル・マスター・

プラン」と、世界の販売担当幹部に利益目標の達成を求める「グローバル・プロ

フィット・マネージメント」計画が策定された。


 トヨタはこの戦略の下、自動車の設計・製造における「革新」を実行した。この

ビジョンはコスト削減に向けた事業の大幅効率化を掲げており、コンポーネント

設計の簡素化や原材料価格の引き下げといった従来の手法でなく、車の製造

方法を変える新たな手法の採用で目標 を達成しようとしていた。例えば、技術

者は数々の機能をより少数のコンポーネントやシステムに統合するよう試みた。

車に搭載されるコンポーネント数を従来の半分に減らすことを狙った。

(続く)