番外編・プリウス急加速問題(34)

ここら辺の事情は次の解説にも詳しく論じられているので、いささか長いものであ

るがそれも参照願いたい。

       

p52.5トヨタ「メーカー目線」の敗北:片山 修(ジャーナリスト)
VOICE 2010年4月11日(日)13:00
http://news.goo.ne.jp/article/php/business/php-20100410-02.html
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問題の本質は「危機管理」

「成長をすることは、けっして悪いことではないと思いますが、成長のスピードが人材や組織

の育成スピードを上回ったことが、結果的に今回の品質問題を引き起こした点は、誠に不本

意であり、お詫びさせていただきたい」


こう語ったのは、作業服姿のトヨタ自動車社長、豊田章男氏である。


3月5日、トヨタ豊田市トヨタ自動車本社本館大ホールにおいて、「オールトヨタ緊急ミー

ティング
」、俗にいえば、公聴会の報告会を開いた。大ホールには、販売店、仕入先などの

代表者のほか、作業服を着たトヨタの基幹職ら約2000人が集まった。全員が起立したままで

ある。その様子は、東京本社や各工場などの約9000人の社員に向けて同時中継された。


豊田氏は、公聴会を振り返って、「テレビ、新聞では、繰り返しトヨタの批判が行なわれ、メデ

ィアに追い回され、心細い気分でありました」と語り、現地のディーラーやTMAトヨタ・モータ

ー・ノースアメリカ)のメンバーが傍聴に駆けつけてくれたことに触れて、「皆さまからの温かい

声援が、挫けそうになっている自分の心を支えてくれました」といって、米国での報告会と同

様に感極まって言葉を詰まらせた。


「お客さまの信頼を取り戻すべく、力を合わせて頑張りましょう」と結ぶと、会場からは大きな

拍手がわいたが、世界のトヨタは、なぜ、ここまで追い詰められたのだろうか。


いったい、どこでどう躓いたのか
。社内に「驕り」が生まれていたのだろうか。あるいは、トヨ

タは「平時の危機管理」は得意でも、「有事の危機管理」は不得手だったのか。


リコールをめぐっては、豊田章男氏の世襲問題と結びつけて論じられる傾向があるが、問題

の本質はそこにあるのだろうか。


現代のリスクは、ケタ違いに巨大、グローバル、複雑、高度化しており、企業を津波のように

襲う。じつは今回、トヨタが直面した危機管理の問題は、グローバル展開する、すべての企業

に共通する課題といえる。


以下、現代企業に要求される危機管理を軸に、トヨタのリコール問題について論じてみたい。


欠陥か否かは消費者が決める


現代において、安全のハードルは、確実に高くなっている。これには理由がある。豊かな生活

を手に入れた現代人は、享受する高い生活レベルが損なわれることに強い不安を感じる。現

代人が健康に異常なほど関心を示すのは、そのことと無関係ではないだろう。


それでいて現代社会は、地球環境問題をはじめ、自然災害や技術のブラックボックス化な

ど、安全を脅かす要因に事欠かない。何がどこで起きるかわからない不安を抱えて生きてい

る。


したがって人々は、リスクに敏感になり、リスクの排除に躍起になる。豊かな生活を脅かすト

ラブルに対しては、ことのほか過剰に反応する。現代の消費者は、工業社会の消費者とは、

明らかに変容している。その認識のギャップが、多くの企業が危機管理に失敗する原因だ。


いきおい高まるのは、企業に対する安全への「期待値である。消費者が企業活動に、こ

れまで以上に厳しい目を向けるのはそのためだ。だから、企業は安全を最優先せざるをえな

い。その意味で、「オールトヨタ緊急ミーティング」における豊田章男氏の反省の弁は、正しい

のである。


「過去数年間の急成長のなかで、経営の優先順位、一番目はお客さまの安全、二番目は品

質、三番目に量、最後にコストという優先順位が崩れていたかもしれません。目先の台数や

収益に追われすぎていたかもしれない」


米国USスチールは、1900年代初頭、多くの労働災害に見舞われた。そのころのUSスチー

ルの経営方針は、「生産第一、品質第二、安全第三」だった。それを「安全第一、品質第

二、生産第三
」に変更したところ、労働災害は激減したという。以後、日本の現場でも見受け

られる「安全第一」の標語が世界的に広がったといわれているが、トヨタはいまこそ、この歴

史的事実を噛みしめなければいけないだろう。


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それから、安全のリード役は今日、もはや企業ではなく、消費者であり、トラブルが起きたと

き何が問題かを決めるのは、トラブルを起こした当の企業ではなく、社会となる。トヨタの大量

リコール問題は、安全に関する社会の認識の変化を浮き彫りにした。


そのことを象徴するのが、2月4日の記者会見の席上、品質保証担当のトヨタ常務、横山裕

行氏によるプリウスのブレーキ問題の発言に対する世間の厳しい批判だ。横山氏は、ブレー

キのかかりが遅れるのはわずか0.06秒で、「ドライバーの感覚と車の動きのずれ」を、「

ィーリング(感覚)
」の問題と説明した。


私は、会見の場で「フィーリング」という言葉を聞いたとき、仮にそうだとしても誤解を招くので

はないかと危惧した。案の定、「フィーリング」はトヨタバッシングの格好のネタになった。横

山氏と同様、品質保証担当のトヨタ副社長の佐々木眞一氏も、2日の記者会見の席上「フィ

ーリング」と口にしたが、思わず口を滑らせたというよりは、たんに品質を評価する際の言葉

を口にしただけだろうと思う。


トヨタに限らず、技術者は、技術オリエンテッドになりがちである。しかしながら、安全のリード

役が社会である以上、消費者の受け止め方に配慮した発言が必要だったといえる。


安全か欠陥かを決めるのは、メーカーではなく、消費者であり、社会であるからには、世の中

が不具合や違和感を感じた時点で、ブレーキは“欠陥”になると覚悟しなければいけなかっ

た。そのことを十分に理解したうえで、問題の対処に当たらなければいけなかったのである。

そうでなかったが故に、トヨタは、国土交通大臣前原誠司氏から、「会社側は大きな問題で

はないとしているが、使う側が決めることだ。顧客の視点がいささか欠如している」と批判を

浴びたのである。


さらにトラブルに際し、どこまで情報開示するかを決めるのも、これまた企業ではなく、社会で

ある。つまり「情報公開」と「説明責任」は、危機管理における鉄則だ。このことをハラの底か

ら認識していないと、トヨタのリコール問題のように、トラブルは限りなく拡大する。


たとえば、アクセルペダルがフロアマットに引っ掛かって戻りにくくなる不具合について、2007

年9月
に米国で2車種をリコールしながら、2009年11月、なぜ、同様の理由で約380万台の

自主改修を実施すると発表したのか。また、安全に問題がないと説明していながら、なぜ、

しくつくる車のブレーキ
は直したのか。


こうした疑問に対して、トヨタは、ハッキリと回答を示さなかった。結果、安全上の問題を認識

しながら情報を隠したり、現在も開示をためらっているのではないかと疑われた。開示される

べき情報が開示されないと、社会は、激しく反発するのだ。


トヨタは、2月23日に米下院公聴会を前に提出した書面証言で、「技術的な問題に焦点を絞

りすぎた」結果、対応が遅れたことを認めた。「供給側の論理」では、もはや安全問題は語れ

ない。


また、これまで企業と消費者とのあいだに存在していた情報の非対称性は、情報社会の進

展とともに解消され、むしろ、企業より消費者のほうがより多くの情報をもつケースが出てき

た。そして、インターネットなどを通しての消費者の発信力は、いまや格段に高まっている。

だから、ひとたび抗議の声が上がると燎原の火のごとく広がり、容易に消し止められなくな

る。


にもかかわらず、トヨタは、従来どおりの「メーカー目線」で対応し、騒動の火勢を強めてしま

ったのではないか。それが積もり積もって、結果的に「驕り」と受け取られたといえる。


危機管理において必要なのは、つねに「最悪のシナリオ」を想定することである。成り行き任

せの対症療法的処理では、火ダルマは必定だ。はたしてトヨタは、リコール問題の処理をめ

ぐって、「最悪のシナリオ」を用意していたといえるのか。


トヨタは、2008年9月15日リーマン・ショックが起こる半年ほど前、米国経済の変異を察知

し、3つのシナリオについて検討した。(1)成長シナリオ、(2)減速シナリオ、(3)クラッシュシナリ

オ――である。採用したのは、(2)減速シナリオだった。


仮に、(3)クラッシュシナリオを採用したとしても、現実はそれを上回る「最悪のシナリオ」となっ

たところに現代のリスク管理の困難さがある。


(続く)