年央雑感(12)

台湾は日本の生命線!
中国の軍拡目標はアジア太平洋での覇権確立。そしてその第一段階が台湾併

呑。もし我が「不沈空母・台湾」が「中国の空母」と化せば日本は・・・。政府・媒体

が敢えて語らぬ生命線防衛の重要性を考えたい。


17.5
中共に屈従!菅直人南京虐殺記念館」での売国言動録
2010/06/14/Mon

■菅氏が南京虐殺記念館を訪問した「意義」とは
   

中国では六月十日、菅直人はかつて南京で歴史の補習を受けた」なる記事

が国営新華社のニュースサイト(新華網)に掲載された。


寄稿者は上海国際研究院学術委員会副主任を務める呉寄南氏。日本政治

専門の御用学者として知られる呉氏はこれまで、訪中した菅直人氏と何度も

会っている。


菅氏は民主党幹事長時代〇二年の訪中で、愛国洗脳教育、反日プロパガ

ンダのための悪質政治施設、南京大虐殺記念館を参観している。当時は小泉

純一郎首相の靖国神社参拝の問題があり、参拝に強く反対する中共と連携し

反自民党政権の宣伝パフォーマンスとも見られたが、実はこの参観に同伴し

たのが呉寄南氏なのだ。

(Photo) 菅直人氏の南京虐殺記念館訪問に同伴した御用学者の呉寄南氏

記事の書き出しはこうだ。

―――六月八日、菅直人氏が日本の新首相に任命された。演説や記者会見で

は中日関係について具体的に触れておらず、いかなる対中外交政策が進めら

れるかに注目が集まっているが、筆者はここで、数年前に虐殺記念館の参観に

同伴したときの情景を思い出すのである。


―――菅氏〇二年五月五日海部俊樹元首相、村山富市元首相などに次

いで南京大虐殺記念館を参観した日本の政治家となった。〇二年四月二十一

日、小泉純一郎首相が靖国神社を参拝し、中国や韓国などアジア諸国の人民

の強烈な憤慨を引き起こしていたが、これも菅直人氏の参観に更なる象徴的意

義を与えたのだった。

中共の力を借りる菅氏が見せた無様な姿

記事によると菅氏は南京を訪れるに先立ち、上海国際問題研究所主催の「

来に向けた中日関係建立検討会
」に出席し、次のような発言を行っている。

「(二十一世紀の日中関係を展望するにあたり)歴史問題から逃れることはでき

ない」


「首相が靖国神社を参拝することは、まず憲法政教分離の原則に反する。そ

して靖国神社にはまだA級戦犯が祀られており、参拝することは過去に行った

反省と平和に対する決心を否定することになる。さらに参拝は隣国の不信感を

招き、国際社会の日本への信頼に影響を及ぼし、国家利益を損ねた。我々はこ

れが耐えられない」


菅氏
はこのように中国の地において、政教分離に関する最高裁判決を無視し、

東京裁判なる日本断罪ショーの捏造判決に付き従い、しかも近隣国の反日

策に呼応しつつ自国の名誉を傷つけた
のだが、この政治家の無様さは、南京

虐殺記念館を訪れたことで、さらにいっそう際立つのである。


そのときの「情景」を記事はこう書いている。


―――陳平穏副館長の案内で菅直人氏一行は重々しい表情でゆっくりと前へ

進んだ。

(Photo) 歴史捏造展示館で「重々しい表情」を見せた菅氏。滑稽にして卑しい

ーーーそして「南京大屠殺遇難同胞紀念館」や「300000」との象徴性の数字

が書かれた記念碑前で足を止め、花輪を献じ、低頭して哀悼の意を捧げた。

(Photo) 献花する管直人

(Photo) 作り話であるのに、いったい誰に哀悼の意を表しているのか

ーーー菅直人夫婦と隨行議員は通訳の説明を聞きながら、石畳をゆっくり進ん

だ。菅直人氏はまた、何度もしゃがみこんでは記念碑の中英日三国の文字で

書かれた説明を細かに読んでいた

(Photo) 独裁国家のプロパガンダを受け入れる民主国家の政治家の愚かな姿

菅氏は本当に記念館が宣伝する「虐殺」を史実と思い込んでいるのだろう

。おそらく事実であるか否かはどうでもいいのだろう。ただ自国の歴史を否定

したい。そしてそれによって中国との関係を厚くし、その力を借りながら、やがて

は自国の政治権力を握りたいと思っていたのではないか。

売国奴中共に対する忠誠パフォーマンス

だから記念館で見せた神妙な面持ちでの参観パフォーマンスは、実際には中

共への
忠誠心を示す
ものだったはずである。ときあたかも、政敵である小泉氏

中共を激怒させていた時期だった。それだけにパフォーマンスにも力が籠もっ

たのではないか。


当日の話はまだ続く。

―――展示コースの終着点にある白い布が敷かれたテーブル上には記帳簿が

開いて置かれていた。菅直人氏は毛筆を手に取り、そこにきちんとした文字で

「以史為鑒、面向未来」の八文字を書き、あわせて「日本国民主党幹事長 菅

直人 2002.5.5」
と署名した


この「以史為鑒、面向未来」とは「歴史を鑑として未来へ向かう」の意。言うまでも

なく江沢民時代以来の中共の決まり文句だが、もちろん対日本限定のものであ

る。


〇五年には温家宝首相が対日三原則の一つともしているが、その直後に新華

社の評論員が行った公式解説によると、次のようになる。


「『歴史を鑑として未来へ向かう』とは中日両国関係の基本準則である。最近日

本は歴史などの問題で誤った態度にこだわり、絶えず中華民族の感情を傷つけ

る誤った行為を繰り返し、中日関係を困難な局面に直面させている。中央政府

が一貫して強調するこの原則を正しく認識し、深く理解することは中日関係の大

局を把握し、両国人民の世世代代の友好の推進継続に役立つ」


ここにある「困難な局面」との言葉に注目しよう。つまり小泉首相靖国神社

拝で、中共の日本政府への統制が利かなくなった当時の状況をそう表現する

のである。


要するに「歴史を鑑として未来へ向かう」とは、日本は「中華民族の感情」を最

優先し、中共公式の反日政治史観に対しては異議を申し立てることも許されな

いと言う対日屈服要求の文句なのだ。


たとえば日本は「世世代代」にわたって中国の言いなりとなれそれが日中

友好
と言うものだ、と。


中共が「南京大虐殺」なる歴史捏造を行い、もし日本の政治家がそれを事実と

承認しなければ、「日中友好」に悖
(もと)るばかりか、「中華民族の感情を傷つけ

る誤った行為」として糾弾されなければならないのだ、と。

(注)悖る=道理にそむく。正しくない。と言う意味

菅氏はその屈服要求の言葉を復唱するように、それを自ら記帳簿に書いてし

まったのだ。これは許されざる菅氏の売国行為と断言できる。

(Photo) 中国では小学生もが日本に命ずる。「歴史を鑑に」と

(続く)