確かに「ベスト16」に進むことが出来たくらいで喜んでいる国では、「ベスト4」を
望むべくもないのであろう。確かにサッカー評論家たち自らが、敗戦後に「感動
したり」、「勇気をもらったり」しているようでは、何年経とうが、私たちが日本代表
の「ベスト4」は見ることはないであろう。一寸長いが、次の記事を参照願う。
27週刊 上杉隆
【第132回】 2010年7月1日 上杉隆 [ジャーナリスト]
1968年福岡県生まれ。都留文科大学卒業。テレビ局、衆議院議員公設秘書、
ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者などを経て、フリージャーナリストに。
「宰相不在 崩壊する政治とメディアを読み解く」「世襲議員のからくり」「ジャーナ
リズム崩壊」「官邸崩壊 安倍政権迷走の一年」など著書多数。最新刊は「民主
党政権は日本をどう変えるのか」(飛鳥新社)。
27ワールドカップ敗退で歓喜している国に、
ベスト4など永遠に無理な話だ
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日本が敗れた。南アでのワールドカップサッカーのベスト16での戦い、PKの
末にパラグアイに惜敗した。
翌日の新聞は一面トップでこの「悲劇」を伝えている。また、朝の情報番組を観
れば、司会者やコメンテーターが口をそろえてこんな風に語っている。
「感動をありがとう」
「勇気をもらいました」
「日本代表にお礼を言いたい」
一般人ならまだしも、スポーツ報道を扱うメディアの人間にしては、またずいぶ
んと安上がりに感動するものである。
どうも、この種の言葉に違和感がある。仮にも公共の電波を使って、「感動し
たり」、「お礼をしている」ヒマがあったら、日本の敗因、もしくはパラグアイの勝
因について、解説の一つでもしてもらいたいものだ。
歓喜に沸く日本の中で
冷静な批判は難しいのか
そもそも、今回の日本代表の戦前の目標は、ベスト4であったはずではないか。
それは岡田監督自らが設定したものである。
にもかかわらず、結果はベスト16であった。善戦したとはいうものの、自ら目指
した目標に到達しえなかったのは間違いない。それならば、なぜそうした結果に
終わってしまったのか、という点をサッカージャーナリズムは分析しないのか。
一般のファンならば仕方がない。しかし、まがりなりにもメディアの人間であるな
らば、そしてサッカーを取材している者であるのならば、ファンと一緒にお礼をし
ていないで、自らのやるべき仕事をきちんとこなすべきである。
前日本代表監督のオシム氏は試合後、NHKの番組の中でこう語っている。
「改善すべき点は多くあった。決勝に入ってパラグアイのように勝てる相手と当
たったのに、この結果はきわめて残念です。本当に勝ちにいったのか、残念でな
らない。勝つために必要なことをしたのかというとそれはない。後半は個々人が
チームを無視した動きをしてしまった。この教訓をどう引き出すか。次のワールド
カップを考えるのならば、きょう、この負けた瞬間から考えなければならない」
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歓喜に沸く日本の中で、こうした冷静さを保つのは難しいことかもしれない。
だが、サッカージャーナリズムはそれによって口を糊しているのだ。浮かれてい
る場合ではない。自らの仕事を遂行すべきなのだ。
民放のテレビ局だけではない。NHKの解説者までもが同様に応援団と化した
ことは、いつものことではあるが極めて残念である。
「勇気をもらった」という素人のようなコメントをアナウンサーまでもが連発し、ひ
どいことにサッカー解説者まで同様に呼応する。
はっきり言おう。パラグアイ戦の、とりわけ後半で、いったいどこに勇気があっ
たというのか。ピッチで戦っているイレブンに文句を言っているわけではない。戦
術をあずかる岡田監督に対して、そう思うのだ。もう一度、オシム氏の言葉を引
こう。
「FIFAにもう一度検討してほしい。ルーレットのようなPK戦に臨まなければなら
ない選手の気持ちを考えてほしい。そして、日本チームはそれでも、ここまでしか
こられなかったという結果を噛みしめるべきだ。もう少し勇気を持っていれば違っ
た結果になったかもしれない。サムライのようにカミカゼのように勇気を持つべ
きだった。ピッチの上では命まで取られることはないのである」
南米や欧州のサッカーが強いのは、こうした敗戦の中から教訓を探し、未来に
つなげてきたことにある。
(続く)