日韓併合100年(38)

そのため第一次大戦では日本は即座にドイツに宣戦を布告して、陸軍が青島

(チンタオ)と膠州湾のドイツ租借地に攻め込んでいる。海軍は、ドイツ植民地の

南洋諸島を攻略し占領している。


ちなみに第一次大戦は、独墺(オーストリアハンガリー)連合と仏露英の植民地争奪闘

争が原因で起こったものである。日本は傍若無人なドイツの進出を抑えるため

に、また日英同盟を結んでいたのでドイツに宣戦布告したものである。


さて4月23日三国干渉を受けた日本は驚愕した。そして翌日4月24日、

広島の大本営で御前会議を開く。伊藤博文首相は採るべき案として3案を示した。

1.三国の勧告を断固拒絶する。

2.
列国会議を開催して遼東半島問題を協議する。

3.
勧告を容れ清国に恩恵的に還付する。


討議を尽くした結果は次の通りであった。


1.
三国特にロシアとの戦争は戦力上到底勝ち目がなかった。

2.
列国会議では、必ずや新たな干渉を受けることになる。

3.
従って、三国の勧告を受け入れて、遼東半島を還付せざるを得ない


そして5月5日に三国に対し遼東半島の放棄を伝え、

1985年(M28)5月10日遼東半島還付の詔勅が下され、日本全国民が

万石(ばんこく、極めて量が多いこと)の涙を呑んで三国の武力干渉に屈せざる

を得なかったのであった。


これは、
『近代日本戦争史概略』の「三国干渉」
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-nissin3.html
を参照している。


やがて、ロシア打つべしとの声が期せずして沸き起こり、「臥薪嘗胆」は全国民

の合言葉となって富国強兵に努めることとなった。

このときから日露戦争までの10年間は近代日本史上最も民族的意識の発揚し

た時期となり、「臥薪嘗胆」は日露戦争を辛うじて勝利を収める原動力となっ

た。
・・・と結んでいる。


結局遼東半島は、1895年11月8日、清との「遼東半島還付条約」を結び還

付され、その代償の還付報奨金として三千万両を得ることとなった。遼東半島

下関条約で日本に譲渡されたていたために、再度還付手続きが必要なので

ある。

(続く)