日韓併合100年(40)

高宗が皇帝となっても朝鮮は安定しなかった。一年後の1898年9月には高宗

暗殺未遂事件が起こっているし、近代化への動きも守旧派による独立派への妨

害が頻発し、議会政治の芽も蝕まれてしまう。皇帝は光武改革と言う近代化政

策を推し進めるが、政治情勢がこんな状態の中で財源の確保もままならず増税

も民衆の反発を買い、この改革は頓挫する。


もともと朝鮮社会ではいわゆる中間層といわれる政治、文化、文明を担える

衆の存在がなかった
ので、土台、日本の明治維新と言う近代化革命は出来な

かった運命にあったのである。


アジアの近代化』 と言うホームページに参考となる議論があるので、それを

引用する。

http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/kindaika.html

    
【注】この討論については、朝鮮半島に近代化の前提となる政治的経済的な

要素が皆無
であったことから、日本の「影響」が無ければ独力での近代化は

不可能
であったという結論は出ている。

ただし、「併合」が必要であったかについては議論の余地がある。

当時は日本にとっても併合は負担が大きすぎたために利点が無かったと考えら

れる。

当時の政治状況から言って、保護国化は不可避であったと考えるが、併合は

日本に不利な選択であったと思う。


また、中産階級が未発達であった場合の近代化については知識階級

(intelligentsiya )の活動が重要であり、事実、朝鮮半島においても知識階級の

活動はあったが、全くの空理空論を弄(もてあそ)ぶ古い考えの知識人以外の

知識階級は日本に学ぶことを選択した。

   
現在、これらの近代化を促進しようとした朝鮮半島の「知識階級」は、何故か

親日派と呼ばれている


ロシア、あるいは清と結託することを選択した者は単に保身と体制の維持を考

えるだけで、近代化を考えなかった。

  
いわゆる「近代化」を単なる歴史の段階としてではなく有機的に「文明の衝突」と

いう観点からとらえ直したとき、文明の邂逅(encounter of the civilization

かいこう)による変革に対応する過程として見ることが出来ると思います。

そして、歴史学者によると、この過程において対応出来るかどうかを分けた最も

重要な要素
中産階級(the middle class)の存在だということです。

日本においては江戸時代には既に町人文化が見られ幕末になると庶民の教

育水準も高まり、識字率も飛躍的に向上
しました。19C当時は世界最高水準

であったといいます。

(日本人へ:識字率のことで韓国と日本を比較するのは止めた方がいい。世界

的に見て日本の識字率の高さのほうが特異なのです)

かつ、新興中産階級は武士の道徳である武士道(BUSHIDO)を取り入れながら

も武士化はせず、町人としてのモラルを持ち、町人の文化を発達させたと考えら

れています。

しかしながら、朝鮮半島においては新興勢力は地位を得ると両班化してしまった

とされています。

日本人である私から見ますと、既成の権威の中に取り込まれてしまったように見

えます。

何故、こういう差異が生じてしまったのでしょうか?

本当に疑問に思いますので、韓国の方に答えて戴きたく思います。


(続く)