日韓併合100年(41)

韓国人の多くは

日本の影響が無くても朝鮮は自主近代化が可能であり、日本の侵略は

近代化を阻害した


と言う。


しかしながら、韓国側が自主近代化の証拠と考えている「光武改革」についても

日本では日清戦争に勝利した日本が着手した改革であると考えられており、多

くの史料もこの説を支持する。


朝鮮人官僚界
の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新

しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象と

なった。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、

ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、 全員が私利私欲という最強の動

機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。政治腐敗はソ

ウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはい

え、首都と同質の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を

肥やす悪徳官吏が跋扈していた。


このように
堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、

これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も

前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。
日本が改革に

着手
したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。 盗む側と盗まれる側であ

る。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。
「搾取」 と着服

は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も

売買の対象となっていた。

   

まあ朝鮮はこんな状態であったから、朝鮮は、早晩中国かロシアの属国に確実

になっていたことであろう。そうなると日本も困るのである。近代化したばかりの

日本は、直接その列強の圧力を受けることになり、到底それに耐えることは出

来なかったことであろう。だから朝鮮の独立を、日本は目指したのである。明治

の為政者は日本の将来の姿をしっかりと見据え、正しい判断と正しい行動をし

て、日本を独立させたのである。小生は今こそこの気持ちが、日本の政治家に

必要なことだと確信するのだが。中国第一列島線第二列島線の概念とそ

れに沿って中国の軍拡は、当時のロシアの南下政策そのものと重なるのであ

る。詳しくは当ブログ2010.6.28の年央雑感(10)などを参照されたい。

  
まあたまたま日本は日清戦争(1894~1895年)を戦って勝利を収めたが、この

戦争の元はと言えば、「甲午農民戦争東学党の乱1894年)」を鎮圧するため

に(朝鮮からの要請により)清国が大規模に朝鮮へ出兵したことに始まる。日本

壬午軍乱(1882年)や甲申事変(1885年)などで清国兵に日本公使館が焼

き討ちを受けたり、多数の日本人が虐殺されたりしていたために、日本居留民

の保護などを目的に出兵せざるを得なかった。しかも清国は列強の調停をも退

けて、天津条約に違反して、撤退をせずに居座り続けていた。そして更に増派を

実行していた。その増派の清国兵を運んでいた船が清国艦隊に守られていた

高陞号であった。

  
ここに豊島沖海戦日清戦争の開始)が幕を切って落とされたのである。

  
この日清戦争に清国が負けた結果、西欧列強の清国への進出が加速されたと

言われ、清国が一方的な被害者となっているような風潮であったが、事実は必

ずしもそうではない。


むしろ中国の方に、小国日本を征伐すると言う「征日論」が強かった。それは

中国独自の天朝の朝貢秩序にもとづく上下関係による考え方なのである、・・・

黄文雄の『捏造された日本史』で言っているので、以下それを紹介しよう。


(続く)