この時の明治政府は、この結果が極東に及ぶことを明確に把握できていたので
あろうか。これが現代の出来事であれば、情報通信が発達し国際関係が緊密化
しているので、簡単に把握出来る事であり、また明確に把握しなければならない
ことである。しかし、今の民主党政権では、それは無理なことであろう。メドベー
ジェフの北方領土訪問すら予測できていなかったことでも、民主党内閣の無知
無能力振りは憚ることを知らない。市民運動上がりだからこそ政治哲学に欠け
る菅直人や世間知らずの稚児に等しい鳩山由紀夫、はたまた、政治資金をくす
ねたり袖の下を要求し、更には胡錦濤の飼い猫状態の小沢一郎の民主党で
は、全く無理な話であろう。彼らに任せていたのなら、日本の安全保障はまこと
に持って不安だらけである。日本の将来は、真っ暗になると覚悟しなければなら
ないだろう。だから早急な政権交代が必要なのだか。
さてこのブログの標題は「日韓併合100年」である。目をバルカン半島から
朝鮮半島に戻そう。
日本は、日清戦争の開始直前の1894年7月16日日英通商航海条約を調
印している。これで以てイギリスは日本が清国を攻めることを容認したと理解さ
れた。(2010/12/8,NO.37参照のこと)
そして今度は、日英同盟を1902年2月30日に調印(そして発効)している。
日本はその交渉の中で、「日本は単独でロシアと戦う」ことと伝えイギリスの協
力を得ている。そしてその2年後の1904年(明治37年)2月8日に日露は開
戦することになる。
ロシアは1900年7月に東三省を占領している(12/23,NO46参照のこと)。
そしてその占領の固定化を図るために、1900年11月に「第2次露清密約」
を結んでいる。
ロシアはこの密約で、満州への軍隊駐留権や要塞の設置、ロシア人の保護、地
方政府への監督権などを得て、鉄道沿線だけでなく満州全域の軍事・行政を支
配下に置いた。
鉄道施設権は、1896年6月の「(第1次)露清密約」で獲得している。即ち、
東清鉄道(満州里からハルピン、ウラジオストク)を施設する権利などである。そ
してこの密約は、日本との戦争ではお互いに協力し合う、と言う内容の軍事同
盟でもあった。
ちなみに清国は多額の賠償金のために列強から借款供与うけ、それと引き替え
に各港湾の租借権や鉄道敷設(ふせつ)権を与えざるを得なかった。そのひとつ
にロシアは1898年3月27日、清との間で(賄賂で)「旅順大連租借条約」を
結び、旅順湾、大連湾を25年間の租借、東清鉄道(シベリア鉄道の支線)の支
線(ハルピン、大連、旅順)を大連まで施設する権利を得ている。(当ブログ
の12/17,NO.43を参照のこと。)
イギリスはもとよりアメリカも満州に権益得たいと思っていたので、ロシアの満
州植民地化には大反対であった。そのため、ドイツとともにアメリカも日本とロシ
アとの戦争には、大賛成であった。そのためフランス(1892年露仏同盟)を除く
各国は日本に対して、ロシアとの戦争を欲していた。アメリカは満州の利権を
狙い、イギリスはロシアが清国を抑えるのではないかと心配し、ドイツはロシア
が衰退すればフランスとロシアからの圧力が減ると考えていたのである。そして
それぞれの国ごとに事情を背負って、列強は日本をけしかけてロシアとの戦争
へと導いていった。もちろん、日本は日本で、ロシアが満州を押さえ、朝鮮へ侵
入してくることを極度に恐れていた。そのためロシアを満州から駆逐する必要
があった。
だからこの日露戦争は、ある意味で当時の全世界を巻き込んだ戦争とも見て
とれるのであり、そのために日露戦争を第0次世界大戦とも言われ始めてい
る。またちなみにアメリカのこの満州への執着が日本との軋轢を生み、後の大
東亜戦争へと繋がっていくのであった。
(続く)