日韓併合100年(51)

特にロシアは当初は旅順と言うであったものを、鉄道を敷き自己の権益を

にまで伸ばし、そして今回は満州全体と言うへと拡大して行ったのである。そ

の面が朝鮮へ、そして日本本土へと拡大しようとしているのである。このロシア

満州植民地化は、日本の一大脅威であった。日本はそのためにロシアとの

戦争を決意したのである。

  
ロシアは現代においても日本の脅威ではあるが、それよりも脅威なのは、中国

である。中国は毎年軍備を拡大させており、尖閣と言う点を沖縄列島という線

に拡大させ、そのうちに日本全体と言う面にまでその毒牙を拡大させようとして

いる。

  
先に掲げた中国国防大臣だった遅浩田日本殲滅論文
戦争が正に我々に

向かってやって来る
」は、正にそのことを言っているのであり、中国共産党

日工作要領
日本開放第二期工作要領」はそのためのマニュアルなのである。

1970年代から40年を経た今日においてはそのマニュアルは改訂されて更に

精緻になっている筈である。あるいはすでに日本の中国化(属国化)が進行し

ているかもしれない。民主党政権の成立そのものがその証左かもしれない。なん

といっても、あの菅直人は「 南京で歴史の補修を受けた」人物であり、官房長官

仙石由人自衛隊を「暴力装置」などとぬかしているし、学生時代からのパリ

パリの左翼でコミンテルンとの繋がりがないとはいえない輩なのであるからで

ある。また小沢一郎は中国への土下座外交をし、更に日米中は正三角形の関

係などと嘯いているからである。詳しくは2008/1/24の小沢一郎土下座外交

(5)や2010/7/26の年央雑感(31)などを参照願う。

  
結局ロシアは1903年10月までには、満州から撤退するとした1902年4月


の「満州還付に関する露清条約」を守らずに、兵を引かなかった。撤退は、半年

後の1902年10月が第1回目、第2回目の撤退は半年後の1903年4月、そし

て最後の撤退が1903年の10月と言う計画であったが、2回目以降は兵を引く

どころか反対に増強させた。そのため日本国内では、三国干渉以来のロシア

への不信感に火がついた。そして東京帝国大学の七博士などはロシアとの

開戦を主張した。その意見書の内容は、


『近代史(8)』 
http://homepage1.nifty.com/keimurata/mm/b/m04/mm08.htm

よりの引用により、次に示す。

  
『ああわが国はすでに一度遼東の還付に好機を逸し、再び之を膠州湾事件に

逸し、又三度之を北進事変に逸す。あに更に此れ覆轍(ふくてつ、前の失敗の

あと)を踏んで失策を重ねべけんや。・・・極東現時の問題は必ず満州保全

就いて之を決せざるべからず。もし朝鮮を争議の中心とし、その争議に一歩を譲

らば是一挙にして朝鮮と満州とを併せ失うこととなるべし。・・・吾人は故無くして

みだりに開戦を主張するものにあらず。』


(来年に続く)