さて日露関係が風雲急を告げると、1904年1月21日、準当事国の韓国は日
露両国が開戦した場合には、「戦時局外中立」をすると宣言した。満州を占領さ
れていた清国をはじめ各列強もこれを是とした。清国は正に当事国である、「満
州還付に関する露清条約」をロシアと締結している。しかも1903年4月には
第2回の撤退が始まる予定であったが、ロシア軍は撤退せずに今なお満州に
居座っている。だから韓国の「戦時局外中立」宣言に賛同するどころか、日本と
共にロシアに対抗すべきだ位は言ってもよい立場に居たのだが。韓国も同じだ。
日本としては丁度この時1904年1月12日、御前会議を開き、日本の主張が
受け入れられなければ「ロシアと戦争を開始する」ことを確認している。そして
京釜鉄道の速成建設の真っ最中であった(1903/10速成決定、1904/11全線
開通)。そして1904年2月6日に国交断絶を駐日公使ローゼンにつたえ、
1904年2月8日の仁川沖海戦で日露は戦端を開いたのである。
日本としてはそんなこと(局外中立宣言)にはかまっていられない。ロシアは早
晩朝鮮半島に兵を進めてくるはずであり、現に満州には大軍を無理やり駐留さ
せている。しかもシベリア鉄道は、1903年7月に東清鉄道がウスリー鉄道とつ
ながり、1904年9月にはバイカル湖畔で鉄道がつながりシベリア鉄道は一応
全通したのである。欧州から一直線で朝鮮の間近まで鉄道がつながったので
ある。
日本は朝鮮半島を守らなければ、自国の独立も危うくなる。なんと言ってもロシ
アは露館播遷(ろかんはせん、ロシア水兵が朝鮮の皇帝である高宗を、拉致
して、1896.2.11~1897.2.20までロシア公使館内で政治を執らせた。)をした国
である。何時何をしでかすが分かったものではない。今のうちに朝鮮を日本側に
つけさせる必要がある。そのため1904年2月8日に日本政府は軍隊を仁川
に上陸させて漢城に進駐させた。そして日本は韓国の独立と領土保全を保障し
防衛する義務を負うとし、その代わりに韓国内での日本軍の行動に便宜を払う
ことを、1904年2月23日に約束させた。時はすでに日露戦争が始まっている
のである。
これが大日本帝国と大韓帝国の間で結ばれた「日韓議定書」である。
人は、特に韓国人は、この日韓議定書を朝鮮に対する日本の植民地政策の始
まりだと言うが、それは大間違いである。もし日本が日韓議定書を結ばずに、ロ
シアと戦争をしなければ大韓帝国は、必ずやロシアの植民地となりロシアに吸
収され、韓国という国はなくなっていたであろう。ソ連邦から隷属国が独立出
来たのは、つい最近のことである。こんなことも分からない馬鹿で頓馬な朝鮮人
がまだいるかと思うと、あきれ返ってしまうよ。如何に朝鮮の民意の低いことよ。
そんなことに構っていたら日本はロシアに遅れをとってしまう。ロシアはもっと強
引に満州での利権を獲得している。1896/5の第1次露清密約は、賄賂と強制
により満州における治外法権や東清鉄道の敷設権、関税率の優遇、軍隊の移動
・兵站の自由、排他的行政権の確保、各地の都市や鉱山の支配などを半ば強
引に認めさせている。更に1900/11の第2次露清密約では、義和団事件をきっ
かけに江東六十四屯の清国人を虐殺し、東三省(ほぼ現在の遼寧、吉林、黒
竜江省に相当する地域)を完全に占領してしまい、軍隊駐留権や要塞設置、地
方行政権の奪取などを行い、満州全域の軍事と行政権を獲得している。
(続く)