日韓併合100年(59)

さて日露関係が風雲急を告げると、1904年1月21日、準当事国の韓国は日

露両国が開戦した場合には、「戦時局外中立」をすると宣言した。満州を占領さ

れていた清国をはじめ各列強もこれを是とした。清国は正に当事国である、「

州還付に関する露清条約
」をロシアと締結している。しかも1903年4月には

第2回の撤退が始まる予定であったが、ロシア軍は撤退せずに今なお満州

居座っている
。だから韓国の「戦時局外中立」宣言に賛同するどころか、日本と

共にロシアに対抗すべきだ位は言ってもよい立場に居たのだが。韓国も同じだ。

日本としては丁度この時1904年1月12日御前会議を開き、日本の主張が

受け入れられなければ「ロシアと戦争を開始する」ことを確認している。そして

京釜鉄道速成建設の真っ最中であった(1903/10速成決定、1904/11全線

開通)。そして1904年2月6日国交断絶を駐日公使ローゼンにつたえ、

1904年2月8日仁川沖海戦で日露は戦端を開いたのである。

   
日本としてはそんなこと(局外中立宣言)にはかまっていられない。ロシアは早

朝鮮半島に兵を進めてくるはずであり、現に満州には大軍を無理やり駐留さ

せている。しかもシベリア鉄道は、1903年7月に東清鉄道がウスリー鉄道とつ

ながり、1904年9月にはバイカル湖畔で鉄道がつながりシベリア鉄道は一応

全通したのである。欧州から一直線で朝鮮の間近まで鉄道がつながったので

ある。

   
日本は朝鮮半島を守らなければ、自国の独立も危うくなる。なんと言ってもロシ

露館播遷ろかんはせん
ロシア水兵が朝鮮の皇帝である高宗を、拉致

して、1896.2.11~1897.2.20までロシア公使館内で政治を執らせた。
)をした国

である。何時何をしでかすが分かったものではない。今のうちに朝鮮を日本側に

つけさせる必要がある。そのため1904年2月8日に日本政府は軍隊を仁川

に上陸させて漢城に進駐させた。そして日本は韓国の独立と領土保全を保障し

防衛する義務を負うとし、その代わりに韓国内での日本軍の行動に便宜を払う

ことを、1904年2月23日に約束させた。時はすでに日露戦争が始まっている

のである。

 
これが大日本帝国大韓帝国の間で結ばれた「日韓議定書」である。

  

人は、特に韓国人は、この日韓議定書を朝鮮に対する日本の植民地政策の始

まりだと言うが、それは大間違いである。もし日本が日韓議定書を結ばずに、ロ

シアと戦争をしなければ大韓帝国は、必ずやロシアの植民地となりロシアに吸

収され、韓国という国はなくなっていたであろう。ソ連邦から隷属国が独立出

来たのは、つい最近のことである。こんなことも分からない馬鹿で頓馬な朝鮮人

がまだいるかと思うと、あきれ返ってしまうよ。如何に朝鮮の民意の低いことよ。

そんなことに構っていたら日本はロシアに遅れをとってしまう。ロシアはもっと強

引に満州での利権を獲得している。1896/5第1次露清密約は、賄賂と強制

により満州における治外法権や東清鉄道の敷設権、関税率の優遇、軍隊の移動

・兵站の自由、排他的行政権の確保、各地の都市や鉱山の支配などを半ば強

引に認めさせている。更に1900/11第2次露清密約では、義和団事件をきっ

かけに江東六十四屯の清国人を虐殺し、東三省(ほぼ現在の遼寧吉林、黒

竜江省に相当する地域)を完全に占領してしまい、軍隊駐留権や要塞設置、地

行政権の奪取などを行い、満州全域の軍事と行政権を獲得している。


(続く)