日韓併合100年(75)

西で2度負けたので(クリミア戦争露土戦争)、今度は東の満州・朝鮮(日露

戦争
)に手を出してきたのである。


そして第2次世界大戦では、日ソ中立条約を破棄して、突如として満州、千島

樺太
と攻め日本の北方四島不法にも占領しているのである。現在は東日

本大震災の対応で日本が手一杯であると見たロシアは、択捉、国後の日本領

に軍備を増強してきているのである。全く民主党政権は、鳩山と言い、管と言い

、頓馬の集まりで頼りにならない。結局日本国民が民主党に騙されたと言うこ

と、言ってみれば平和ボケに陥り国民自身も馬鹿になってしまっていた、と言うこ

とでしょう。この点中国もロシアと同じ穴の狢、見方によれば、ロシアより狡猾で

残忍である。日本に軍備がないと見ると、尖閣どころか沖縄までも占領しかね

ない、そして本州も。日本も真っ当な軍備を持ち、自分の国は自分で守ることを

しないと大変なことになる。ちなみにロシアはヨーロッパでも既に不可侵条約や

中立条約を結んでは、相手を油断させて進攻し占領している実績がある。バル

ト三国やフィンランドポーランドなどである。

例えば、1932年のソ・ポ不可侵条約を突然破棄して1939/9/17ポーランド

侵攻
しているし、同じく、1932年のソ・フィン不可侵条約を破って、1939/12

フィンランドへ侵攻している。カチンの森事件は、このポーランド侵攻時に発生

したものである。同じように1940/6にはバルト三国へ侵攻している。

また、1939/8/23には独ソ不可侵条約を結んでいるが、スターリン1940/5/15

付けで「対独先制攻撃計画書」を完成させている(ジューコフ参謀総長に命じて

作成)。ポーランドを押さえれば、ソ連はドイツへは直接侵攻できるのである。

ポーランドはドイツと15万kmに渡り国境を接している。しかし1941/6/22ヒット

ラー
に先を越されてドイツの対ソ電撃作戦を許してしまった。スターリンはドイツ

のこの計画を掴んでいたが、しかもドイツの軍事力がソ連軍に比べて比較になら

ない程小さいことも知っていた。そのため英仏との戦いにドイツは全力投球して

いるためソ連には攻めてこないと、高をくくっていたものである。

 
そして、1991/4の日ソ共同声明、1993/10の東京宣言をロシアのプーチンは完

全に無視しているのである。ロシアとはまさに国際的合意を守らない国である、

と認識しなければならないのである。だから鳩山や管、それに民主党は頓馬以

上の頓馬だと言っているのである。


なぜこれほどまでして、スターリンはヨーロッパを混乱せしめようとしていたかと

言うと、其の混乱に乗じてヨーロッパを「共産主義革命」に巻き込もうとしていた

からである。これは「世界共産主義革命」実現の大前提であった。

このことは、
正論4月号」の瀧澤一郎氏の「第2次世界大戦最大の戦犯はスタ

ーリン
だった!」
に詳しく記述されている。


事実日露戦争当時のロシアはソ連邦のロシアではないが、先に挙げた
「ねずき

ちの ひとりごと セヴァストボリの戦いと旅順要塞戦」


http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-820.htmlにもあるように、満州を制

圧して朝鮮半島を占領し、其の上で
日本を従えて太平洋に打って出る
、とロ

シア側の文書に記されている通りのことを実行しようとしていたのである。


さてクリミア戦争に戻ると、上記の
「ねずきちの ひとりごと」によると、この要塞

戦での動員数は、英仏トルコ連合軍は17万5千人、セヴァストボリ要塞守備隊

は8万5千人、1854/9に連合軍がクリミア半島に上陸し、一年後の1855/9に要

塞は陥落しているから、1年ががりでようやく落としたことになる。
連合軍の死

12万8千人(ロシア側10万2千人)である。


旅順要塞
は、1904/8/19の第一回旅順総攻撃から第3回総攻撃後の1905/1/1

ステッセルは白旗を揚げているから、4ヶ月半しかかかっていないことのなる。

しかも日本軍の死者1万5千人で、クリミア戦争セヴァストポリ要塞戦の

約1割なのである。


そして第2次世界大戦でのナチス・ドイツがセヴァストボリ要塞を攻めた時に

は、更に死者の数は増えている。1941/9/24にナチスドイツはヤルタを制圧し

セヴァストボリ要塞を包囲し、1942/6/末にようやく陥落させている。ドイツ軍35

万人、死者10万人以上10ヶ月の大激戦であった。

<(続く)