さて1905/5/27の03:00前に、仮装巡洋艦信濃丸がその左舷に発見した灯火
は、病院船「アリョール」のものであった。そして臨検のため後方より相手の左舷
に回り込むと、更に左舷方向に多数の軍艦と煤煙を発見し、5/27午前4:45
に「ネ、ネ、ネ、、ネ」(敵艦隊らしき煤煙見ゆ)と発信する。これがバルチック艦
隊発見の第一報である。第2報は「タ、タ、タ、タ。地点203」(敵の第2艦隊
見ゆ)。しかしこの電信も直接鎮海湾の連合艦隊には届かなかった。洋上の軍
艦を経由しての転電、転電でようやく届いている。そしてその後、他の電信も届
きだすが位置が一致せず、敵艦隊の位置がはっきりしていない。
しかし連合艦隊は、5/27,05:10に大本営に打電する。
「敵艦隊見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動し之を撃滅せんとす。
本日天気晴朗なれども波高し」
「波高し」ということは、駆逐艦や水雷艇による魚雷攻撃が出来ないことを意味
する。そのため主力艦による砲撃による艦隊戦を挑まなければならない。その
ためにも早く敵を見つけて頭を押さえなければならない。敵艦隊の頭を抑えて浦
塩への遁走を防ぎ、全艦で敵の先頭艦に集中砲火を浴びせるのである。
そのため位置確認が続く。07:28、巡洋艦「和泉」が打電。「敵艦隊・・・225
地点」。これから敵位置に関する電信が複数発せられ、しかもその位置が一致し
ない。発信するほうも、受信するほうも、お互いに大いに混乱している。最終的
に敵位置の情報が夫々一致したのは、5/27午後零時34分。これで連合艦隊
旗艦「三笠」の海図上でバルチック艦隊の位置を示す線が一本となった、と「日
露戦争 6」(児島襄)は述べている。しかし「三笠」では、敵を取り逃がすのでは
ないかと、気が気ではなかった。
そして5/27,13:39、「三笠」はようやくバルチック艦隊を望見できた。出動以来8
時間余りが過ぎていた。
13:53、「三笠」に「Z」旗が上がる。
「皇国の荒廃はこの一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」
バルチック艦隊は三列で北東に向かっている。連合艦隊はほぼ1万メートルほ
ど前方を頭を抑えるように北西に向かって進んでいる。連合艦隊は「イ」を左右
反転させた時の「ノ」の場所に位置している。そのためすぐに進路を西に向ける。
13:55、敵に近づくためだ。そしてすぐに南西に向きを変える。丁度バルチック艦
隊とすれ違う形だ。距離9千メートル。敵との距離は刻々と近づく。三笠の艦橋
も気が気ではない。
5/27,14:05、距離8千メートル。その時東郷大将の右手が胸の前を左にさっと
動く。
(続く)