日韓併合100年(96)

1905/5/27,18:00過ぎ、日没が迫り視界が狭まった。日露戦争5」(児島襄)

次のように述べている。


この時刻には、戦闘はだれ気味になっていた。

連合艦隊は、戦艦「オスラビア」のほか仮装巡洋艦「ウラル」運送船「ルス」

を撃沈し、旗艦「スウォーロフ」及び工作艦カムチャッカを大破した。また他

の艦船にも損害をあたえ、仮装巡洋艦佐渡丸」「満州丸」は、それぞれ病院船

「アリョール」「カストローマ」を捕えて、対馬に連行中であった。


連合艦隊にも、それなりに砲弾を受け被害を受けていた。修理のため戦列を離

れるもの、やむを得ず基地に帰還するものなどが出ているが、日本艦隊の戦意

は衰えていない。そしてロジェストヴェンスキーは、ウラジオストクへの行くこと

を命じ、その指揮権を第三戦隊司令官ネボガトフ少将に譲っている。


バルチック艦隊は、北から東郷の第1戦隊に、南からは村上の第2戦隊に挟撃

されている。

18:33
、東郷の第1戦隊の攻撃を受け、戦艦「ボロジノ」の被害が増大する。

19:00、戦艦「アレクサンドル三世」が沈没する。工作船カムチャッカ」沈没

乗組員合計64人が山口県の見島、と越ケ浜に漂着している。

19:13、距離が離れたので「三笠」は砲撃を中止する。

19:23、戦艦「ボロジノ」沈没


19:27、戦艦「スウォーロフ」
は、水雷艇の攻撃により、ようやく沈没する。


19:55
、9時間ぶりの夕食、そして全艦に鬱陵島への集合を命ずる。三笠の被

弾数は32発、他の第1、2戦隊の艦船は平均8発、死者73人、負傷者313人と

記載されている。まずは日本側の「大勝」である、と述べている。鬱陵島は朝鮮

半島中央部・日本海側の沖合いの島であり、バルチック艦隊浦塩行きをここ

で待ち伏せして、全滅させるつもりなのである。そのためにも、連合艦隊は夜も

眠らない。駆逐艦21隻、水雷艇36隻による夜戦を指示する。


駆逐艦は300tレベル、水雷艇は100tレベルの小艦艇であり、船体が折れんばか

りの荒れた海での航行には相当苦労している。そして闇夜の中で攻撃中の

雷艇
同士が衝突して、3艇が沈没している。雷撃攻撃は敵艦に肉薄攻撃し、脇

目も振らずに退避しなければならないので、戦果は不明だ。しかし後ほど判明し

た戦果は大きかった。


23:50頃、戦艦「ナワリン」
沈没。

5/28
,02:30頃、戦艦「シソイ・ウェリーキー」
大破。日本海軍の秘密兵器「連繋

水雷」による爆発である。ロープの両端に機雷を結んだものを引っ掛けたので

ある。

その他、巡洋艦「ナヒーモフ」と「モノマーフ」も魚雷を受けて航行の自由を失っ

ている。


この夜襲は、「戦艦一隻撃沈、戦艦一隻及び巡洋艦2隻大破」と言う大戦果

を挙げていたのであった。


この段階(5/27の昼から夜)で、バルチック艦隊の戦艦8隻中、5隻が沈没、1隻

が大破している。

6月16日のNO.94で述べたバルチック艦隊主力12隻中、残っているのは

たったの5隻であった。即ち
戦艦「アリョール」とネホガトフ少将が率いてきた第3

艦隊の
旧式の4隻のみであった。
(続く)