日韓併合100年(97)

そして巡洋艦駆逐艦を含むバルチック艦隊の全57隻中、ウラジオストクを目

指すことが出来たのは(まともに動ける船は)、たったの15隻になっていた。

即ち上記の主力と言われた5隻と4隻の巡洋艦、6隻の駆逐艦の15隻だけと

なっていた。しかしこれらの艦船は、浦塩には辿り着くことは出来なかった。


即ち、戦艦「アリョール」、戦艦「ニコライ一世」、装甲海防艦アブラクシン」「

ニャービィン
」「ウシャーコフ」、(巡洋艦戦隊に編入された装甲巡洋艦「モノマ

ーフ」は、5/28,14:30沈没している。)

それに、一等巡洋艦1隻、二等巡洋艦3隻駆逐艦6隻 だけであった。


またロシア駆逐艦2隻は対馬南方に向かい、巡洋艦隊主力の3隻は五島列島

沖をマニラに向かって逃走してしまっている。


しかしこの状態は、鬱陵島に向かっている我が連合艦隊にも、また、当のバル

チック艦隊自身にもわかっていなかった。連合艦隊の第1、第2戦隊は鬱陵島

南南西約55km地点を航行していた。5/28の朝は「
天気晴朗にして、前日来

の蒙気払うが如く、清澄望遠に適す
」状況であった。しかしお互いに、あたり一

面見渡す限り波立つ海原が続いていた。そしてお互いに「不安」に駆られていた。

しかし、5/28、05:04巡洋艦厳島」が、数条の煤煙を認める。そして、05:25敵

艦隊を視認する。ネボガトフ少将率いる「第3艦隊」と「アリョール」の5隻である。

敵は戦艦2隻と戦艦クラスの装甲海防艦3隻である。'11/6/15,NO.93で説明し

ているように巡洋艦隊が、戦艦と対戦するには誠に不利である。09:35先行した

第2戦隊も第1戦隊が到着するまで、監視を続ける、と言っても距離1万m。しか

もネボガトフ隊の5隻は全て手キズを負っている。09:45には日本の主力艦

12隻のほか、巡洋艦隊、駆逐艦隊にも囲まれている。10:36「春日」の試射に

伴って第2戦隊が一斉に砲撃を開始する。



しかし10:37、ネボガトフ少将は降伏を決断し、旗艦「ニコライ一世」は「降伏」の

万国信号旗を掲げて降伏の意思表示をするも、機関停止をしなかったために砲

撃が続けられた。「三笠」からの「停船せよ」の信号で、10:53ようやく機関停止

させ、10:55ネボガトフ隊は降伏した。


これより前、

07:20
、戦艦「シソイ・ウェリーキー」を捕獲する。しかし後刻、浸水により沈没す

る。

07:50
巡洋艦「ナヒーモフ」捕獲。

09:00
巡洋艦「ナヒーモフ」沈没

そして

11:02
戦艦「シソイ・ウェリーキー」沈没

11:06
巡洋艦「スウェトラーナ」沈没

11:06頃
駆逐艦「ブイストルイ」かく座

12:43
駆逐艦「グロムキー」沈没

14:50
ネボガトフ隊の捕獲作業を開始する。すると、装甲海防艦「ウシャコフ」

が北上してくるのを発見し、捕獲作業を中断した巡洋艦「磐手」と「八雲」が追跡

する。

17:30
、降伏勧告するも従わず、「ウシャコフ」との砲撃戦が開始される。後刻

沈没。

16:00過ぎ
駆逐艦「ブルヌイ」自沈

17:15
駆逐艦「ベドウィ」降伏。この駆逐艦には「ブルヌイ」から移された重傷

の司令長官ロジェストヴェンスキー中将が乗っていることを知り、「ベドウィ」の

捕獲を担当した駆逐艦「漣サザナミ」艦長相羽恒三少佐は驚いた。先のネボガト

フ少将
と共に、ここにロシアの2人の提督が日本の捕虜となったのであった。

18:10
装甲海防艦「ウシャコフ」沈没

21:10
巡洋艦「ドンスコイ」大破。

5/29,早朝
巡洋艦「ドンスコイ」自沈


(続く)