日韓併合100年(100)

(※)ウラジミール湾は、ウラジオストクの東、北海道の積丹半島の西約400

kmのロシア沿海州の日本海に面している軍港である。地図で見ると、オリガと

いう都市のすぐ北20~30kmに位置する湾である。

現在は、ロシア海軍の攻撃型原子力潜水艦の基地である。2008/11/10の夜に、

この湾近くで攻撃型原潜「ネルバ」が、死者20名、重傷者21名と言う事故を起こ

している。幸いにも原子炉の事故ではなかったが、現在は日本海など日本の周

辺海域には、ロシア・中国の原潜がウヨウヨしている。危ないと言ったら、この上

ない。

 

さて海戦が始まると、戦場に近い対馬の北部東岸にロシア兵の残兵が漂着しだ

した。島根県西部の石見地方の現在江津市海岸にもロシア兵が漂着している。

沢山の死体も流れ着いている。山口県の萩、豊浦郡阿川村の海岸にもロシア

兵の死体やボートなどが漂着した。しかし流れてくるものは全てロシア側もので

あり、日本側のものは流れてこない。そのためどうやら日本側が勝っているら

しい、ということは村人たちにも想像できた、と
日露戦争7」(児島襄)は述べて

いる。そして流れ着いたロシア兵に対しては、村人たちは総出でロシア兵とは知

らずに、何くれと無く世話をした。そして「ロシア兵」とわかっても、村の男女は態

度を変えることなく、「
戦さしに来てご苦労なことじゃ」と世話を続けたという。古き

よき日本の姿がそこにはあった、と微笑んだことであろうがこれは古き物ではな

く今の日本にも厳然と存在しているものと思う。東日本大震災で避難所で生活し

ている多くに日本人は、このお互いに助け合い崇(あが)め合う気持ちでこの困

難に立ち向かっていることと、根は同じものと思う。それにしても、もう少しマシに

ならないものかねえ、空き管政権は。

  
以上見てきたように日本海海戦の結果は、日本の大勝利であった。米国では、

長崎の米国領事からの「日本海軍の大勝」の報告電が、5/28に入っていた。

大統領ルーズベルトも、なかなか事実とは信じられずにいたが、日本側公報が

届くにつれて疑念は一掃され、「
神経昂進して、身全く日本人に化し、公務を処

理するの念無く、ただ来訪者に海戦の状況を談話して終日を送った
」と「日露戦

争7」(児島襄)
は書かれている。


各国の新聞も一斉に、「日本海海戦」の日本の勝利をたたえ、ロシアの敗北・

講和の必要性を論評した。


例えば「ワシントン・タイムス」は「
露国の敗北は、文明の凱旋なり」と報道した。

これを見るとロシアの外交は世界から疎んじられていたものと思われる。昔も今

もロシアは嫌われ者だったようだ。


そして当然と言えば当然であるが、このような風潮は日本政府を喜ばせた。

日本はすでに全てを出し切ってしまっている。これ以上大陸の内部に引っ張り込

まれた場合、いくら制海権を確保したとは言えジリ貧状態と言うよりも、戦力の

枯渇により崩壊の危機に瀕していたのではないかと、感ずるのである。


(続く)