ドイツはフランスが動き出したことに対抗心を燃やし、ロシア海軍が壊滅したこと
に安堵し、ロシア海軍の再建にドイツ経済が潤うことを願って、ロシアをある程
度のレベルに置いておきたかっただけであった。そこには日本国の視点はいさ
さかもなかった。
6/4、ルーズベルトは駐米ドイツ大使ステンブルグを呼んで、ドイツ皇帝の送った
と言う書類の中身を問いただした。その内容は、平たく言うと「ロシアに有利な
講和内容となるように、米大統領を使おう。」と言ったものであった。そのため大
統領はあらぬ期待を持たれぬ様に直接ニコライ2世に、自分の立場を伝えるこ
とにした。
6/5、ルーズベルトは駐露米国大使のG.マイヤーに「日露直接に和平交渉した
らどうか」と伝えさせた。
6/6、自称トロッキーなるロシア人がロシア政府の対日「平和条件」なるものを、
駐オーストリア公使の牧野伸顕に持ってきた。
その内容は、
・賠償金を支払い、サガレンを割譲するが、
・満州、遼東半島からは兵は引かない。ただし同規模の日本軍の駐留は出来る。
・日本は朝鮮から撤兵すること。
と言ったまったく非常識な内容のものであったが、その書類はロシア政府の正
式書類であった。ロシアは明らかに朝鮮を我が物にしようとする強い意志が認め
られた。
6/7、ルーズベルトはロシアからの回答が遅れていることに苛立っていた。金子
堅太郎との昼食会では、ロシアを一日でも早く講和の席に着かせるためには、
「サガレンに出兵して、速やかに占領してしまったらどうか」とまで、大胆な発
言をして、金子を驚かせた。
そしてその後ロシア皇帝の返事が、駐露米国大使マイヤーからの急電で届く。
大統領の提案を受諾する、と言うものであった。
6/8、大統領は金子堅太郎を呼び、日本の過大な要求は他の世界列強からは
同情されないだろう。ロシアの財政は全く逼迫している、と述べ、賠償金の要求
は控えるべきだ、と依頼している。そして大統領は日露両国へ講和会議の開催
を正式提案する。
6/8米国時間は日本時間6/9である。大統領が、日露両国政府に講和会議提案
の公文書が伝達される。日本政府は喜んだ。日本は直ちに正式受諾回答を行
う準備を整え、談判地はチーフーを提案するとした。
そして参謀次長長岡外史は、総長室で「米国から講和会議提案があり、受諾
した」ことを聞きびっくりする。まだサガレンを占領していない。その旨提案する
と、枢密院議長・元老伊東博文と参謀総長・山県有朋元帥の2人とも「準備でき
ており、外交の妨げにならなければやってよい」との許可を受け、長岡外史は
欣喜雀躍した。トロッキーからはロシアはサガレンを割譲する気があると聞き、
ルーズベルトは早くサガレンを占領せよと言うし、ニコライ2世はサガレンが占領
されないうちに講和会議を開きたいと言うし、これらの情報が長岡の耳に入って
いれば、ここまで樺太攻略は遅くならなかったことであろう。情報は必要な人物
に届いてこそ価値を生むものであり、どのような価値があるかは夫々政治家が
鋭く判断せらるべき物であろう。とにかく情報の伝達が悪かった。どこか気が抜
けていたことであろう。
(続く)