日韓併合100年(104)

6/10、小村外相は、大統領勧告と日本の受諾回答を発表させた。日本国民は

露国乞和」と解釈し舞い上がった。現実はそれほど甘くない。


6/11
、長岡外史は早速陸海軍首脳にサガレン(樺太)攻略の緒準備に取り掛

かったが、各首脳とも積極的推進には程遠く、四方八方手を尽くさざるを得な

かった。そして海軍軍令部次長の伊集院五郎中将に緒準備の依頼を行ったとこ

ろこれまた煮え切らなかった。しかし伊集院はこのことを東郷大将に意見を求め

たところ、「それらは日本にとって急務で必要な作戦であり、連合艦隊は

いつでもよい
」との返事をもらった。


その頃ワシントンではドイツ大使ステンブルクが、大統領と面談し皇帝ヴィルヘ

ルム2世の意見を伝えていた。


「ロシア皇帝は講和条件次第では、談判を打ち切る。だから大統領が日本の要

求を査閲してくれ」と言うロシア寄りのものであった。もちろん大統領は聞き置く

だけであった。


6/12
、御前会議で「日本海海戦戦闘報告」が奏上された。その後、首相、外相

陸相海相参謀総長(陸軍)、軍令部長(海軍)の6人が別室で樺太行きが検

討され、サガレン攻略は中止となってしまった。


長岡外史は「
老人たちの糞用心では乾坤一擲の壮挙は出来ぬ・・・と心臓の鼓

動が止るまでに憤慨した
」のであった。しかしそれでも諦めなかった。満州軍総

参謀長児玉源太郎大将
に助けを求めた。


6/14
、長岡の許に満州の児玉より暗号電報が届く。

講和談判を有利にするには更に積極的作戦をせよ、と言うものであった。「これ

が為には、サガレンに兵を勧め、事実上之を占領し、ウスリーに向かっても前進

を継続し、又満州軍の方面に於ては、準備出来次第、猶予無く地歩を進め、成

し得れば尚ほ一大打撃を与ふる如くすること、甚だ緊要なりと信ず。敢えて卑見

を具申す。児玉自署
」と言うものであった。


自署と言うことは、必要なキーマンには伝達して欲しい、と言うことを意味する。

長岡は早速ガリ版で、「首相、外相陸相その他手の届く限り」に配布した。そし

て桂首相にも今回同様の電報を打つよう依頼した。


6/15
、軍・政の連絡会「木曜会」で、児玉電が話題となった。小村外相が力説

した。清国が講和を申し込んだのは、首都北京を攻撃されると言う脅威を受け

たからであり、ロシアは海軍が撃破されたとは言え日本はいまだロシア領には

踏み入っていない。講和を有利に進める条件は次の四つであるが、まだひとつ

しか達成していない。


(1)
ロシア満州軍主力の撃破

(2)
北韓作戦の実施

(3)
樺太島の占領

(4)
三億円の外債の新募、これだけが決まっているのみ。


これまでではロシアは講和には乗ってこない。(1)は無理でも(2)(3)はやれると

児玉大将言っている。それだけやって講和に望むべきだ。

(続く)