日韓併合100年(113)

(注)ウェントワースホテルというものは、現在はニューキャッスル島には(グーグルマップを見る限りでは)見当たらないので、マリオットホテルがそれであろうと小生が推測したものである。

そしてポーツマスへ向かう船ではロシア側はメイフラワー号で、日本側よりも上

位であったが、ウェントワースホテルでは別館であり、あまり環境はよくなかっ

た。夕食の席でも日本側に先を越され、大分待たされていた。そして給仕が全

員若い学生アルバイトと知って、これまた驚いていた。


そしてその学生アルバイトをして、日本側にメモを届けさせて、本会議の進め方

に関して明日10時非公式会談を開くことを決めた。そして日本側が記者会

見を拒否していることを知ると、表情を変えてにこやかに記者会見を実施し、

米露友好」を力説した。


8/9
、午前10時より予備会談が開かれた。両国とも通訳を含む3人が出席した。

そしてまずお互いに全権が委任されていることを確認し、打ち合わせに入った。

合意事項

(1)会議では英仏両語を使用する。

(2)会議に提出する文書は、日本は英文、ロシアは仏文とする。

(3)講和条約と議定書は英仏両文で作成し、仏文を正文とする。

(4)会議毎に大要を議事録にまとめ、両全権委員が署名する。

(5)そのため、書記の参加を認める。

(6)出席者、


 日本側、(全員英語に堪能)
全権委員小村寿太郎、同高平小五郎、駐メキシコ弁理公使佐藤愛磨(仏語)、

外務省参事官安達峯一郎(露語)、同二等書記官落合謙太郎(露語)

 ロシア側
全権委員ウィッテ(仏語)、同ローゼン(英語)、条約局長ブランソン、秘書コロス

トウェツ、書記官ナポコフ(英語)


(7)毎日午前(9:30~12:00)、午後(15:00~17:30)の2回会議を持つ。8/10より

開催
する。


その夜ウィッテは、同日着任した海軍武官(中佐V・ルーシン)の話を聞く。


ウィッテはフランスからニューヨークへの船中で、随行する武官に戦況を聞いて

いる。そのときの武官の話では、「更に戦争を続ければ、ロシアは負けるであろ

う」と言うものであった('11/7/8,NO.110参照)。ルーシンの話も同様なもので

あった。だからウィッテは「
他無し。一日も速く談判を終結せしむべし。一日の遅

延は、一日の不利を招くこと必至なり。
」との結論に至っていた。


その頃、小村は首相兼臨時外相桂太郎から一通の電報を受け取っていた。

ポーランドの政情不安と反ロシア感情により新兵の募集も困難であると言うもの

であった。そしてロシアでは賠償金を払っての講和では、ロシアは瓦解するかも

しれない、と言うものであった。そのため小村は、軍事的に優位な今、一気に講

和を成立させる以外に方法はないと判断し、「
一日の猶予は、一日の利を敵に

与う恐れあり
」との結論に達していた。


期せずして、日露両全権委員は、同一の結論に達しながら、講和談判に望むこ

ととなる。

(続く)