1905/8/10、日露講和談判初日。10:15第1回会議開始。
まずは両全権が、夫々の君主が「穏和和協の精神」であることを述べ合って、
話し合いを始める。日本側君主は天皇陛下、ロシア側君主はニコライ2世皇帝
である。結局このニコライ2世は、1917/3/3に皇帝を退位させられて、翌年
の1918/7/17にエカテリンブルグで銃殺される運命にあったのであ
る('11/6/6,NO.87参照)、丁度93年前のことである。
まずウィッテの日本側の平和締結の意見を聞きたい、との発言に、日本側は
箇条書きの条件を提示した(英文を成文とし仏語訳を添付)。ちなみにこの8/10
は一年前に黄海海戦を戦った記念の日であった('11/5/11,NO.71参照)。以下
「日露戦争7」(児島襄)を参照してそれを列挙する。カッコ内はそこ(P378)に示
されている条件の区分である。
(1)日本の韓国管理(絶対的条件) 露譲歩可
(2)満州撤兵(絶対的条件) 露譲歩可
(3)満州の清国への還付(絶対的条件) 露譲歩可
(4)満州に置ける機会均等(付加条件) 露譲歩可
(5)樺太の割譲(比較的必要条件) 露譲歩不可
(6)清国に於けるロシア権益の割譲(付加条件) 露譲歩可
(7)南満州鉄道および付属権益の譲渡(絶対的条件) 露譲歩可
(8)満州横貫鉄道の非軍事化(付加条件) 露譲歩可
(9)日本の戦費の「払い戻し」(比較的必要条件) 露譲歩不可
(10)中立港逃避のロシア艦の引渡し(比較的必要条件) 露譲歩不可
(11)ロシアの極東海軍力の制限(比較的必要条件) 露譲歩不可
(12)ロシア領海・領水の漁業権の許与(付加条件) 露譲歩可
先に示した('11/7/5,No.107)講和の条件を再度下に示すが、先に「日露戦争
7」(児島襄)がその頁260~261で述べていた付加条件であった「極東のロシア
海軍力の削減」は、ここでは(P378)比較的必要条件として述べている。後は、
細分化したものである。
[絶対的条件]--政治的条件
(1)韓国を全然我が自由処分の任させる。
(2)一定期間内に日露両軍の満州撤兵。
(3)遼東半島租借権及びハルビン、旅順口間鉄道の譲渡。
[比較的必要条件]--経済的条件
(1)軍費の賠償。ただし、最高額を「十五億円」として、談判の様子でそれ以内に
適当にまとめる。
(2)中立港に逃げこんだロシア艦の引渡し。
(3)樺太およびその付属諸島の割譲。
(4)沿海州沿岸の漁業権。
[付加条件]--軍事的条件
(1)極東におけるロシア海軍力の削減。
(2)ウラジオストク軍港の商港化。
条件を提示を受けたロシア側は、本日の午後と明日の会談の休会を提案し、
了解された。
(続く)