日韓併合100年(117)

このことを見ても「日露戦争」は、日本の独立戦争であったことが良くわかる。


ロシア側は、賠償金の支払いの拒否、領土の割譲の拒否、そして清国における

露国の権益を守ることが、最優先事項であった。日本が韓国を管理することに

対しては、それほど拒否するものでもなかった。事実、1904/2/23日韓議定書

を結び、日本は韓国を守ることになっている。今の日米安保条約と似たようなも

ので、日韓安保条約と言うべきものであった。だから、日本の韓国管理につい

てはそれほどの拒否感は無かったものと思われる(
'11/1/19,NO.59参照)。


思い起こして欲しい。ロシアは、1689年ネルチンスク条約で、アムール川

左岸(下流に向かっての左側)と今の沿海州は清国領と認めたのである

が、1858/5/28アイグン条約では、その左岸(江東64屯など)を割譲させ、

更には、1860年北京条約では、沿海州まで割譲させてロシア領としてしまっ

ているのである(
'11/1/20,NO.60参照のこと)。だから、朝鮮(韓国)や満州をロ

シア領にすることなど朝飯前のことであったのである。


だから、ロシアを満州から追い出すために、日本は日露戦争を始めたのである。

このブログのはじめから、よくよく熟読玩味して貰いたいものだが、韓国を列強

の手から守らなければ
、日本の独立も覚束なくなるので、結局は韓国を合邦せ

ざるを得なかったのである。


そしてロシア代表団は午後4時までには、対日回答文の作成を完了させ、翌日

の会議開催の日程を打ち合わせた。8/12,09:30の会議開始予定となった。

ロシア側秘書のコロストウェツが記者会見し、「明日回答文を手渡す」と述べて

いる。


両全権団は、ポーツマスの暑さと蚊の大挙襲来に、大いに悩まされていた。


8/12
、新聞各紙は講和条件に対する各国の反応を伝えていた。


ロシア-ロシア国内では「講和条件を受諾するよりは戦争を望む」式の意見が

多いと伝えている。


仏、英-「日本の要求は妥当であり、希望がもてる」と、伝えている。

独-独外務省は、特に日本の条件は公正だとは認めていないが平和を望む、

的な意見を載せていた。


そして、ロシア全権団はマスコミに友好的であるが、日本側はそうではないとの

記事もあった。


09:45第2回本会議開催


ロシア側の回答文の提出を受けた日本は午後3時まで休憩を求め、ロシアは明

日の午前の会議の中止を求め、共に合意した。そして小村委員は、ロシアの秘

密漏洩をきつく詰問した。ウィッテは東京の通信員より(APが)聞いたものであ

ろう、ととぼけてみたものの、小村委員より問題をすりかえるなと返されて会議

の守秘を確認させられている。

(続く)