「ロシアは中立の朝鮮を必要とする。もし朝鮮が自由でなければ、我々は極東に
おける全戦略が脅かされる。旅順からウラジオストクに至るルートには障害が
あってはならない。もし日本がこれに同意しないのならば、海陸における戦闘と
いう犠牲を払わねばならない。」
朝鮮半島の中立とは、朝鮮を日本の自由にはさせない、と言うことでロシアは満
州の次には朝鮮をも取るということである。そうすれば樺太、沿海州、朝鮮半
島、満州、遼東半島を全部手中に収めて、極東においてロシアの地歩を確立さ
せ太平洋への出口を完全に確保すると言うことであった。もちろんその先には、
日本の占領も視野に入れていた。このことは、'11/12/29,NO.50や次のNO.51で
も述べているので参照願いたい。
また「小村寿太郎とその時代」(岡崎久彦著、PHP文庫)には、次のようにも述べ
られている。
[開戦後、半年を経た1904/6/下旬に、ウィッテはハーディング英国大使に次の
ように正直に述べている。「満州はロシアの手にあり、・・・満州からの撤兵条約
が清国と締結されたとはいえ、これを実施するまじめな意向はこれまで決してな
かった。」(そしてロシアが勝った場合の日本への和平条件としては)「ロシアに
よる満州と韓国の併合の問題のほかに、日本は永久に戦闘力を奪われなけ
ればならず、太平洋沿岸におけるロシアの優越は保障されなければならぬとの
見解には誰も彼もが一致している。それには、日本に対して艦隊を所有するこ
とを禁止する条件が課されねばならない」・・・日本が戦闘力を全く剥奪されて、
強大なロシアに隣接した場合、その将来には何が起こるかを想像すればよい。]
イギリスは日本の同盟国である。日英同盟は1902/1/30に小村外相の下で結
ばれている。その同盟国イギリスの駐露大使にこのような無謀というべきことを
述べているのである。明らかに英国に探りを入れているのである。日本が負け
れば、ロシアは日本を如何様にも料理できるのであり、イギリスの介入する余地
はないも同然であることを、見越していたのである。英国も日本が負けるかもし
れない可能性があることを考えて、『締結国が他の一国と交戦した場合は同盟
国は中立を守り他国の参戦を防止すること、2国以上との交戦となった場合に
は同盟国は締結国を助けて参戦することを義務付けたものである』との内容に
あるように、日本がロシアと戦争した場合には中立を守るとしているのであ
る('11/12/28,No.49参照)。
世界一の陸軍を有するロシアと戦争を開始するということには、余程の覚悟が
必要であった。しかしながら戦争をしないで放置しておけば、結局は戦争に負け
たと同じ事になっていたであろう。早晩朝鮮半島はロシアの手に落ちていたこと
であろう。そうなれば北海道とか対馬などに、ロシアが租借地を要求したきたこ
とであろう。だからどうせなら、ロシアの戦争準備が整う前にロシアを叩いてお
く必要があった。それだけの度胸があったのが、対露強硬論の持ち主であった
小村寿太郎であった。そしてその認識は総理であった桂太郎にも共通してい
た。まだ維新の硝煙の臭いを感じることの出来る世代が日本の政治を司ってい
たことが幸いであった。
(続く)